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大いなる収穫。 

text by

戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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posted2005/07/07 00:00

SPECIAL FEATURES

[コンフェデ杯・全3戦徹底検証]大いなる収穫。

戸塚啓=文

text by Kei Totsuka

 軽々しく使ってはいけない言葉も、今回ばかりは文句なしに当てはまる。

 収穫あり、である。

 期待はあった。5月中旬の新潟合宿から1カ月以上にわたって、ジーコ監督と選手たちはトレーニングを積んできた。キリンカップとワールドカップ最終予選の4試合を消化したことで、修正点や課題はすでに明らかになっている。ならば、本大会出場を決めた安心感や疲労の蓄積を差し引いても、継続がもたらすメリットはあると考えていたのである。

 メキシコと引き分けていれば、という思いは募る。ギリシャ戦でもっと点を取っていれば、という無念さもある。どちらも十分に実現可能だったからだ。

 それでも、得失点差で3位に終わった今大会を、私はこれ以上なく前向きにとらえている。準決勝には進出できなかったが、'06年への大いなる自信をつかんだからだ。

 ブラジルとのグループリーグ最終戦は、ジーコ監督就任後のベストマッチである。世界王者とまともに撃ち合ったのだ。2度のビハインドをはね除けて追いついたのだ。

 しかも、自分たちのアクションで流れを引き寄せることができた。アジアでの戦いのように、相手の自滅に助けられたわけではなかった。あくまでも能動的にブラジルを上回る決定機を作り出したのである。

 ビッグゲームはこれまでもあった。'03年6月のフランス戦では、1-2で敗れたものの素晴らしい内容のサッカーを披露した。昨年4月には、ホームで連勝中のチェコを1-0で沈めた。

 だが、ブラジル戦には及ばない。

 ロナウドとロベルト・カルロスがいなかった? カカとアドリアーノが交代した?― そんなことは関係ない!― 残り15分を切った78分、パレイラ監督はゼ・ロベルトを下げてエドゥーを起用した。サイドアタッカーからボランチへの交代は、ブラジルにとって2-1で逃げ切るためのスイッチだった。

 だからこそ、エドゥーを引っ張り出したあとで同点ゴールをあげたことに、もっと焦点を当てていいのである。ブラジルの思惑を狂わせることのできるチームが、世界にどれほど存在するというのか。

 付け加えれば、ブラジル戦のドローでギリシャ戦の勝利はさらなる価値を帯びることになった。FIFAランキング1位のブランド力は、彼らを苦しめたチームの権威を高めてくれるのだ。

 後半終了間際には、スタジアムから『ニッポン!』コールが沸き上がった。カナリア色のブーイングが、日本への称賛をかき消すこともなかった。グループリーグ全12試合を振り返っても、ここまで観衆を引きつけたのは日本だけだった。海外でこれほど声援を浴びた代表チームを、かつて私は見たことがない。

 ドイツの権威ある専門誌『キッカー』は、この試合に「1.5」の採点をつけた。先行するドイツをアルゼンチンが激しく追撃した2-2のゲームでも、試合内容の評価は「2」である。数字の低さがクオリティの高さを表す『キッカー』の採点で「1.5」が出るのは、ブンデスリーガでもそれほど多くない。日本に対する意外な驚きがプラスに作用したとはいえ、今大会でもっとも国際的な評価を高めたのはアジアチャンピオンだった。

システムだけに頼らない

ジーコのサッカーが形に。

 コンフェデレーションズカップの3試合は、ジーコ監督の目ざすサッカーがはっきりとした形で表れた舞台だったと思う。

 これまでジーコ監督のチームは、二者択一のスタンスで分析されてきた。その最たるものは、3-5-2か4-4-2かの議論だ。

 柔軟性に富んだ采配は、一貫してネガティブな評価につながっていた。チームの方向性が定まっていないという批判だ。ジーコ監督が戦術よりも戦う姿勢やハートの重要性を訴えると、「コンセプトがない」とか「選手任せ」と言われてきた。

 では、コンフェデレーションズカップの成功は、固定したシステムがもたらしたのか。

 答えはNOである。メキシコ戦は3-6-1でスタートし、大黒将志の投入後は3-5-2となった。ギリシャ戦とブラジル戦は、否定的意見が圧倒的多数を占めてきた4-4-2で戦っている。

 では、4バックでも戦えたのはなぜか。

 1対1の局面での頑張りが理由である。その原動力となるのは、ジーコ監督が強調してきた強いメンタリティーに他ならない。とくにディフェンスの連動性は、1対1を挑む、止めるという責任感があってこそ成り立つ。局面の攻防を各自が解決することで、全体のラインを高く保つ=攻撃のスタート地点が低くならないことにもつながっていく。

 ブラジル戦の後半などは、システム重視の視点から見るとかなりハラハラさせられた。日本の陣内にはブラジルなら有効活用できるスペースがあったし、実際に使われる場面もあった。それでも追加点を許さなかったのは、個人レベルでの粘り強いディフェンスがあったからだ。

 サッカーを戦術的にとらえるようになってから、日本では「組織的」という言葉が重んじられてきた。身体能力の劣る日本人は、組織をもって戦うという発想である。ジーコ監督の評価が戦績よりはるかに低かったのは、「組織的」な印象が薄いからに他ならない。

 しかし、「組織力」の限界は過去2度のワールドカップが教えてくれている。にもかかわらず我々は、「組織的なサッカー」を求めてきた。自戒の念も込めて言えば、苦しいときにすがれる「保険」のようなものが欲しかったのだと思う。

 ジーコ監督は「組織」に頼らなかった。ブラジル生まれの指揮官は、日本人よりも日本人の能力を適切に見極めていた。個の劣勢を組織でカバーするのではなく、日本人が持つ個の力を掛け合わせることで、世界の舞台へ飛び出そうとした。

 攻撃的センスに溢れるMFやFWは、ディフェンス能力にも長けていると言われる。アルゼンチンのサイドアタッカーは、前線への飛び出しと同じくらい帰陣が速い。ロナウジーニョやカカは、危険を察知すると瞬時にスペースを埋め、中村俊輔や中田英寿にプレッシャーをかけてきた。

 日本で言われる「組織的なサッカー」から脱却するには、日本人にもそうした感覚を植えつけなければならなかった。組織は崩れるものであり、崩れた場面での個人の頑張りが勝敗を決めるのだ、と。ジーコ監督が求めてきたものとは、換言すればロナウジーニョやカカが見せるプレーのことだった。

 それが、ブラジル戦で実現した。

 「ただ神経質になって引いて守るのではなく、前へ前へと勝負する形」と中村が表現したディフェンスのポイントは、組織と個人の新しいバランスと言うことができる。それこそは、'02年のトルコ戦以降の日本の命題にして、ジーコ監督の追求するサッカーの形なのだろう。一時期はほぼ否定されていた4-4-2でブラジルと対等に渡り合えたいま、我々はシステムではないところに眼を向けるべきである。

 そもそもシステムとは、きわめて柔軟であるべきものだ。アルゼンチンは3-4-1-2とも4-4-2とも読み取れるし、ブラジルも中盤から前は何通りにも表現できる。フレキシブルな戦術変更は、現代サッカーに不可欠なのだ。選手を代えてもシステムは同じギリシャとオーストラリアが最下位だったのは、示唆に富んでいて興味深い。

前回大会から丸2年。

チームは着実に進化した。

 システムとの関連では、ジーコ監督の采配にも触れなければならない。

 メキシコとの初戦が3-6-1だったのは、最終予選からの流れを考えれば納得できるはずだ。大黒将志と玉田圭司の途中起用は、第2戦以降への布石となっていた。

 ギリシャ戦に4-4-2で臨んだのは、いきなり1トップにした先のバーレーン戦と似ている。負ければブラジル戦が消化試合になりうる局面での変更は、しかし、勝ち点3をつかむためには必要な決断だった。

 唯一の疑問は、ブラジル戦での鈴木隆行の起用か。ゴールが欲しい場面でストライカーを起用するのはいい。ただ、6月8日の北朝鮮戦を最後に国際試合から遠ざかっている彼は、明らかにリズムに乗り切れていなかった。柳沢敦を残したままの3トップが、ベターだったのではないかと思う。

 ただし、采配への疑問はそれぐらいだ。監督経験の不足ゆえのベンチワークの稚拙さを指摘されてきた指揮官は、チームの成熟とともに効果的なタクトをふるうようになった。

 振り返ってみれば、このチームの実質的なスタートは2年前の今大会だった。三都主アレサンドロが左サイドバックにコンバートされ、宮本恒靖をリーダーとする最終ラインとなったのは、'03年6月のフランスからである。

 当時は控えだった川口能活は、再びスタメンに定着した。まだメンバー入りさえしていなかった福西崇史や加地亮は、チームに欠かせない選手となった。

 変わったのはスタメンだけではない。選手層のボリュームも増している。

 大会前に不安視された中澤佑二の不在は、ギリシャ戦以降は問題にされなくなった。「彼がいれば」という思いに駆られたのは、メキシコ戦の逆転ゴールの場面ぐらいだろう。

 小野伸二の離脱も致命傷になっていない。高原直泰がいれば決定力はアップしたかもしれないが、チームのパフォーマンスそのものに大きな違いはなかったと言える。

 アジアカップ以降のチームを誰よりも牽引し、グループリーグでリケルメに比肩する輝きを放った中村を欠いても、いまなら対応できるのではないか。ドイツのメディアが「精密機械のようなパスを出す」と報じた背番号10の存在価値は、もちろん際立っている。だが、中村抜きでも中盤の組み合わせを描ける現状を、我々は素直に歓迎していい。

 就任当初のジーコ監督に求められたのは、中田英と中村の共存だった。『黄金のカルテット』を実現させることだった。

 トゥルシエ前監督が残した〈負の遺産〉ともいうべきこの問題を、ジーコ監督は発展的に解決した。稲本潤一がベンチに座り、高原に先発が確約されていない状況を、いったい誰が想像できただろう。ジーコ監督が過ごしてきたおよそ3年にわたる非難の日々は、世界への確かな助走だったのだ。

 「ワールドカップまでの1年間で、すべてにおいてブラッシュアップしていかなければならない」と、ジーコ監督は言う。

 メキシコ戦の前半を1-0のままで終えられず、ブラジル戦では同点に追いついた5分後に2点目を喫したように、試合運びに改善すべきところはある。ブラジル戦の後半終了間際に、自陣でボールを回したのも試合展開を考えれば疑問だった。

 かねてから私は、メキシコが日本の手本になると思っている。圧倒的な実力差を見せつけるわけではないが、確実に勝ち点を確保する伝統的な戦いぶりは、今回の対戦でも強く印象づけられた。

 メキシコの選手にあって、自分たちになかったものは何か。身体能力がほぼ互角の彼らから、学ぶべきものは多いはずである。

 ともあれ、本格的な世界との対戦でつかんだ自信は、このチームにさらなる前進を促すきっかけとなる。依然として未来を楽観視してはいないし、課題があるのも分かっている。だが、本大会出場を決めた2週間前より、さらに期待は膨らんできた。ワールドカップの1年前に、ホームでフランスに0-1で敗れたチームと、中立地でブラジルと2-2で引き分けたチームを比較したとき、疑いなく後者に可能性を感じるからである。

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