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徳山昌守 充たされない闘争心。 

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井崎洋志

井崎洋志Hiroshi Izaki

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posted2006/11/23 00:00

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[独占告白]徳山昌守 充たされない闘争心。

井崎洋志=文

text by Hiroshi Izaki

 九分九厘、心は揺るがないはずだった。

 『ボクシング現役世界チャンピオン、初のPRIDEリングへの参戦』

 5月にオファーを受け、9月に新たなリングに上がる決心をし、10月には沖縄でキャンプを張った。現在、73kg級のPRIDE王者・五味隆典がタイトルを防衛すれば、ボクシングの世界チャンピオンとPRIDEのチャンピオンの対戦が大晦日の総合のリングで実現することになっていた。

 PRIDE初のボクシングルール、3分4ラウンド、ハンデのあるグローブ着用、判定決着なし。そんな細則まで決定していた。

 ところが、発表直前になって思わぬところからこの話が公になる。11月2日、徳山が保持するタイトルの認定団体、WBCの総会が開催され、その際『徳山が総合格闘技に出る噂の真偽』について確認するよう日本ボクシングコミッション(JBC)に指示を出したのだ。スポーツ紙が憶測も含めて騒ぎ出し、同時にインターネット上でも意見が飛び交ったが、「ボクシング界に残って欲しい」というものが大多数を占めた。

 徳山の気持ちが揺らぎ始める。

 「俺のことを、まだボクシング界が必要としているのか……」

 11月5日、「PRIDE武士道」で五味のタイトルマッチが行われた。徳山との対戦条件はそこで五味が勝つことであったが、五味はこれをクリアした。このとき徳山は「やっぱりこの試合をやることが運命なんだな」と腹を括ろうとした。それでも「これからやろうとしていることは、本当にボクシングなのだろうか。これでもボクシングをリスペクトしていることになるのだろうか」と自問自答を繰り返していた。

 11月6日、自身のHPへの書き込みが急速に増えた。その内容は徳山の予想とは違った。参戦を決意した時も「ボクシングを愛している人にとっては裏切り行為かもしれない。そう思う人は絶対にいる」と覚悟はしていた。しかし、激励メールはごくわずかで、大半はボクシングファン、徳山ファンからの痛烈な批判だった。“PRIDE参戦”の報道がなされる前日、くしくも1階級上のバンタム級世界チャンピオン長谷川穂積との対戦が浮上していると一部で報じられた。この一戦が実現すれば低迷するボクシング界がきっと盛り上がるはず、と誰もが思った。だからこそボクシングファンはそのビッグマッチ実現を阻害する要因でしかないPRIDE参戦を拒絶した。それらを読みながら「俺の人生だけど、俺ひとりだけの身体じゃない。チャンピオンはボクシング界全体を考えるべきなんだ。俺は生涯ボクサーだ」ということに気づいた。結論は、出た。

 この日、17時からWBCの指示通りJBCの事務局長が徳山の元に事情聴取に訪れた。

 「PRIDEには出ません。僕はボクシングを続けます」

 そう伝えると、徳山は騒動に巻き込んだ人々へ一刻も早く謝罪をしたかったが、聴取後に予定されていた事務局長の記者会見には同行しなかった。

 「お騒がせしてすみません」

 それ以外の言葉が見つからなかったからだ。

 徳山と私の出会いは彼の8度目の防衛戦に遡る。相手は元アマチュアエリートのロシア人、ディミトリ・キリロフ。このテクニシャンに対して全くボクシングをさせない戦い方に私は衝撃を受けた。

 「日本にこんなクレバーな選手がいたのか」そう思うと、いても立ってもいられず徳山本人に“会いたい”と手紙を書いた。初めて目の当たりにした彼の底知れぬボクシングスタイルの全てが知りたかった。私自身、キャリア3年で、全日本アマチュアランキングフライ級3位になった経歴を持つ。ボクシングはスピリットだけではなく“考える頭”がないと勝てないという持論に共鳴してくれた徳山は、私のラブレターのような手紙を、照れながらも真剣に読んでくれたと後で聞いた。

 あれから3年、今彼と私は10年来の友人のように本音を言い合えるようになった。

 ボクシングに対して誰よりも誇りとこだわりを持つ現役チャンプであると同時に、心から尊敬できる男だと思っていた。その友人から今年の9月、1通のメールが届く。

 「年末、徳山はPRIDEに出ます。

 また、詳しくはゆっくりと― BYチャンプ」

 その唐突な決断に正直、言葉を失った。

 当初、徳山はPRIDEからの参戦オファーを断り続けていたという。そもそもPRIDEのリングに52.1kgという軽量級は存在しない。対戦予定だった五味は73kg級。ボクシングで言えばこの階級はレナードやハグラーが鎬を削ったミドル級とほぼ同クラス。スーパーフライ級対ミドル級。総合格闘技の世界ではあり得る体重差は、ボクシング界においては決して存在しない。安全性、公平性を考慮すれば、こんな対戦は論外である。体の大きい方が勝つに決まっているとボクシング関係者はそう思う。しかし、より過激さを求める総合のファンもそう思うだろうか。

 「ハイリスク、ローリターン。めちゃくちゃ怖い。相談したほとんどの人にも反対された」

 それなのに、徳山はなぜ一度は参戦を決意するに至ったのだろうか。

 この大きな決断には、彼が世界チャンピオンの座に就いた'00年から数年に及ぶ伏線があった。彼はボクシング日本歴代3位となる連続防衛記録を作っても一向に世の中に注目されないことにずっと苛立ちを感じていた。

 '04年6月、徳山9度目の防衛戦は、7度目のそれを無難に退けたはずの川嶋勝重とのリマッチに決まった。マッチメイクは自分ではどうすることもできない現実だった。苛立ちはピークに達した。

 「なぜ同じ相手ともう一度?」

 そう思うと川嶋戦前はこれまでのようにハードな練習ができず、ストイックに自分を追い込むこともできなくなってしまった。サウナに入って15kg以上の減量をするだけで試合に臨んだが、開始早々1ラウンド107秒で屈辱のTKO負けを喫してしまう。

 自尊心を取り戻すためにも、もう一度川嶋と戦ってベルトを取り返さなければならない。徳山は長期王者には珍しく、すぐに王者陥落後の現役続行を決めた。

 '05年7月、川嶋との3度目の対戦では同じ過ちを繰り返すことはなかった。結果は判定3-0の完勝だった。

 そして今年2月、シドニー五輪ベスト8のテクニシャン、ホセ・ナバーロを完封し、試合後にリング上でマイクを握った。

 「WBCスーパーフライ級王者は卒業します」

 この階級には自分を燃えさせてくれる相手がいない。だからこそ、卒業という言葉を「引退」と同義語で使った。ただし、“階級を限定した卒業”と発言したのは、世の中の注目を集めるビッグマッチ限定でもう一度リングに上がる決意をしたことの表れでもあった。注目を集める大きな舞台できっちりと勝ち、そして格好よくリングを去りたい。

 ところが、日本の人気選手との対戦には多くの“ハードル”が存在し、実現に向かう兆しは全く見えてこなかった。

 ぽっかりと空いたブランクと王者としての誇りのジレンマの中で、PRIDE参戦の電撃的なオファーが、徳山が持つボクサーとしての闘争心を再び掻き立てた。戦うリングを変えることによって自分自身に対する第三者の評価を劇的に変えられる予感を感じ始めていた。

 そして、今年5月の大阪ドーム、9月のさいたまスーパーアリーナでの「PRIDE― GP」観戦で、近年のボクシングにはない観客動員数、熱気、そして派手な会場演出を目のあたりにすると、ますますその気持ちは強くなった。

 また、プロである以上自分の評価のバロメーターとなるのがファイトマネーである。今回のPRIDEサイドの提示額はナバーロ戦をはるかに上回った。徳山はこのオファーを受けることでボクシングのビッグマッチと同等の評価を得られると判断したのだった。

 ところで、徳山がボクシングを極めながら世間から圧倒的な評価を受けないのはなぜか。もちろん北朝鮮籍を当初から公言してきたこともあるかもしれない。だが、それよりも人気の最大の要因である強さや面白さを感じにくいのは彼のボクシング観に集約される。

 「試合で第一に考えることはパンチをもらわないこと。強烈なパンチを打ち込みたいとは思わない。常に勝つ事しか意識していないから相手がヘロヘロでも攻めにいかない。1から11ラウンドまで完璧に取っていっても、12ラウンドにカウンターを一発もらって10秒座っちゃったら、“負け”な世界」

 だから無理はしないという。

 「それに俺のボクシングはフェイントをいっぱいかけていますが、それは第三者にはわかりにくいと思いますよ」

 半ば理解されることを諦めたような口調。確かに微妙な感覚はやってみなければわからない。そこで10月中旬、私は徳山に「本気」のスパーリングを申し出た。

 構える。決して威圧感が強いわけではないが、いきなり左ジャブをもらった。まったく打つ気配を感じさせないストレート。動き出しのタイミングがつかめない。それならと、こちらから攻めてみるが、幅広いスタンスから生まれる“懐の深さ”に阻まれる。同時にカウンターの左を被弾する。次はどうしようかと思案していると、今度は軽い左ストレートが数発。今度はかわしたと思ったのも束の間、ストレートの軌道からコースアウトした左フックが私の右頬を捉えていた。パンチは初動でその種類を見抜けないと手遅れなのだ。確かに左ストレートのはずだった。ところがもらったのは左フックだった。

 徳山は相手を完膚なきまでに叩きのめすタイプではない。相手が嫌がることを瞬時に見極め、いつの間にかペースを取ってワンサイドにしてしまう。そんな展開が彼の強さをわかりにくくしているのだと、私は初めて確信した。

 ボクシングの試合では、打たれても打たれても前進を止めない選手に人々は感動を覚え、派手なKOシーンに大きく心を揺さぶられる。このスポーツではいまだに敢闘精神こそが最も尊いとされている。徳山のボクシングはその逆なのだ。12ラウンドもの間、どんな時も相手の距離では決して打たせず、常に自分の距離を維持して打ち続ける。“打たせずに打つ”という、シンプルだが最も難しいことを容易にやってのける。そのスタイルはあまりに繊細で、かつ見た目には難解なために世間的な評価につながりにくい。それでも徳山は自分のスタイルを変えようとはしない。それが、彼のボクシングだからだ。

 11月7日、ボクシング続行を発表した翌朝、徳山を訪ねた。

 悩みぬいて疲れ切った表情で現れるかと思いきや、こちらが拍子抜けするくらいにいつもと変わらない徳山がそこにはいた。ただ、昨日まで準備していたミスマッチな試合のプレッシャーから解放されたからなのか、幾分穏やかな顔をしていた。

 「ほんと、いろいろ、スミマセンでした」

 彼は軽く頭を下げたが、その後はいつものようにとりとめのない会話が始まった。大阪に木枯らしが吹いたこと、来春引っ越す新居のこと、後輩のボクサーのこと……。

 徳山はこれまで中長期的な目標など持たず、目先の決められた防衛戦を一つ一つクリアしてきた。今回、初めてそれに従わなかった。自らの引き際は自ら決めたい。だから動こうとした。身動きの取れないボクシング界から飛び出そうとした。しかし動けなかった。騒動は治まったが、今後のことは依然として白紙のままだ。

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