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ラグビーに生涯を捧げた
“タックルマン”石塚武生。 

text by

大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

PROFILE

photograph byNaoya Sanuki

posted2009/09/01 06:00

ラグビーに生涯を捧げた“タックルマン”石塚武生。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

「お前はタケを知ってるか?」

 ちょうど10年前。'99年W杯の前取材でアルゼンチンを訪ねた記者に、いきなりそう話しかけてきた男がいた。「リッチモンドで一緒だったんだ。手紙をくれと伝えてくれ」と言うと、当時24歳のアグスティン・ピチョットは記者のノートに自分の住所を書き殴った。後に主将としてプーマスをW杯3位に引き上げた英雄に、この夏は悲しいメールを送ることになった。返信は速攻で返ってきた。

「タケは僕の素晴らしい友でありコーチだった。ショックだ……」

 石塚武生。チームや国の枠を越えて愛された男は、8月6日、突然天に召された。前日まで長野・菅平で高体連主催のスキルアップ講習会に参加し、部員不足や指導者不在の高校生たちを指導して自宅に戻った朝だった。「突然死症候群」が、頑健な57歳を冥土へ連れ去った。

1万人の体当たりを受け止めた“タックルマン”。

 タックルマンと謳われた。身長170cmと小柄ながら、早大時代から妥協を知らない猛練習で必殺タックルを磨き、日本代表キャップは28。代表主将も務めた。そんな名選手が'00年に日本協会に奉職すると、小中学生にラグビーを楽しんでもらうため「呼ばれれば全国どこへでも」出かけ、生身で子どもたちの体当たりを受け止めた。「多い日で1日に200人。思い切り当たらせると、子どもの目の色が変わるんだよ」。声がかかれば中国、インドへも指導に出向いた。慶応などライバル校の誘いにも「ラグビー仲間だから」と快諾。'04年にはU19日本代表監督として世界ジュニアで史上最高の7位に。'06年に常総学院高監督に就任後は、県内の少年院でもラグビー教室を開催。そこでも全員の体当たりを受け止めた。体当たりを受けた人数は'06年春に「6000人」と言っていたから、きっと1万人を超えていただろう……。

タックルマンの教えは2019年日本W杯で花開く。

 実家近くで営まれた通夜には700人、告別式には400人が押し寄せ、周辺の道は人で溢れた。あらゆる垣根を越え、ラグビーの楽しさを身体を張って伝え続けた石塚への弔問者は寺院の敷地内に収まりきらず、性別も年齢も多様だった。

 2019年、W杯が日本に来る。タックルマンに体当たりした小中学生は高校、大学生から20代前半か。中には代表選手も出ているかもしれない。石塚さん、どうぞ天から見守って下さい。合掌。

■関連コラム► 2019年ラグビーW杯は日本に!アジア初のホスト国の栄誉と宿題。 (2009年7月30日)
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