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あえて巨人を選んだ豊田清、34歳の決断。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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posted2005/12/22 00:00

 「FAで球団を移るというのは、今まで馴れ親しんだ環境を変えるということ。相当なエネルギーが必要になる。誰だって事情さえ許すなら、移りたくないはずだよ」

 豊田清が、西武から巨人へFA移籍するという話を聞いて、西武からダイエー(当時)に移ったときの工藤公康(現巨人)の言葉を思い出した。

 西武の守護神と呼ばれた男も、巨人で抑えを確約されたわけではない。しかも、西武時代と同じ年俸2億5000万の2年契約は、働ければ上がるがダメなら下がるという流動的なものだ。あえてそのような環境に自らを置いたのは、最後の賭けだった。

 「西武では松坂大輔、西口文也に続く3番手としてやってきたけど、常に注目を浴びる巨人に行ったほうが存在価値が上がる」

 豊田はプロ入り4年目から先発投手として一軍に定着した。四本柱の一人として活躍したが、'01年、6回になると不思議とスピードの落ちる球質を見て、ストッパー転向を決めたのは、当時の東尾修監督だった。人一倍強い責任感と、時々顔を出す気の弱い一面。以降5年間、それと戦いながら立派にストッパーをやり遂げた。

 優勝争いをするチームで、3年以上ストッパーを続けることができたのは、江夏豊、佐々木主浩、高津臣吾、そして豊田の4人しかいない。だが'04年、シリーズタイ記録となる3セーブをあげ日本一を果たしながら、年俸は現状維持に留まった。シーズン中、勝負どころでの失敗が響いた形となった。

 今回、巨人との交渉で、清武英利球団代表から「君に私自身の進退をかける」と言われた。原辰徳新監督からは「もう巨人の一員だからな」とラブコールを受けた。そのとき豊田は、今まで忘れていた熱いものを感じたという。

 「お前がいなければ優勝はない」

 その一言に飢えていた。

 「優勝を義務づけられたチームでやりがいがある」と言う豊田に、恩師である東尾は、こう送り出した。

 「小便をちびるような緊張感をまた味わえるなんて、うらやましいよ」

 もう後に引き返すことはできない。34歳、男の勝負である。

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