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遅れてきた強打者。畠山和洋の8年間。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

posted2008/09/04 00:00

 金属バットに慣れた強打者がプロ入り後に苦労する例は数多い。西武ライオンズの大島裕行(高校通算86 本)、北海道日本ハムの中田翔(高校通算87本)クラスでも思うような結果を残せていない。例外は清原和博(現・オリックス)、松井秀喜(現・ヤンキース)ら数えるほどだろう。ヤクルトスワローズの畠山和洋も高校時代には62本の本塁打を放った東北のスラッガーだった。スケールの大きさには定評があったが一軍に定着できず、プロ入り通算8年目を迎えていたのである。

 埋もれていた戦力が陽の目を見る最も多い例は、上司(監督・コーチ)が代わったとき、あるいは既存の戦力が不調で球団内部で抜擢した結果、及第点を得た場合がある。畠山はそれらの理由により今季ようやく陽の目を見た一人であった。

 高田繁監督は、二軍時代の畠山のことを「二軍であれだけ打っている選手がなぜ一軍に定着しないのか」と不思議に思っていた。関係者に聞くと「守備に不安を抱えている」という答えが返ってきた。

 さらに畠山には二軍落ちを気にして打席に立っていたため、打席に集中できず精神的に弱い部分があった。その結果、二軍で3割を打ちながら、ファーム暮らしを続けていたのである。

 上司といえる二軍の打撃コーチに今季から就任したのは、高田監督とは巨人・日ハム時代の盟友である淡口憲治だった。日ハム時代に田中賢介、工藤隆人を育てた名コーチは、「いかに力を抜いて構えて、インパクトの瞬間に力を入れるか」をテーマに指導し、一軍登録後の成績も徐々に上向いてきた。

 また、チームが長距離砲として期待していた外国人が相次いでリタイヤするという幸運にも恵まれた。球団は新たな補強をせずに、白羽の矢を武内晋一と畠山に立てたのである。

 かたや、東京六大学のスター選手としてプロ入りした選手。一方の畠山は8年目。武内と切磋琢磨することでついに遅咲きの素質が開花した。

 「失敗しても使ってもらえるからじっくり打席に立てます」という畠山は、ライバル争いにも勝利し、いまやヤクルトの4番として定着した。「晩成の岩手県人ですから」というが、その言葉がしっくりと似合ってきた。

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