SCORE CARDBACK NUMBER

最後の無頼派レスラー、グレート草津氏を悼む。 

text by

門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

PROFILE

posted2008/07/24 00:00

 ラグビー日本代表からプロレスに転向した大型の異能派レスラー、グレート草津さん(本名・草津正武)が6月21日、入院先の県立静岡がんセンターで多臓器不全のため亡くなった。66歳だった。

 草津選手(当時からそう呼んだ)との付き合いは'65年夏、杉山恒治(サンダー杉山)、斉藤昌典(マサ斉藤)と共に日本プロレスに入門した時から。よく飲み、よくもめたものだ。豪胆で頑固一徹、酒で命を縮めたとはいえ、鯨飲馬食が美徳とされた昭和の時代に、その名残をとどめた最後のサムライだった。喧嘩仲間がいなくなるのは寂しい。

 192cm、115kgの体格で100m11秒台の脚力を誇り、熊本工から八幡製鉄を経て、ラグビーから転向した第1号選手だ。'66年に日プロを退団して故吉原功設立の新団体、国際プロレスに移籍すると、その海外武者修行中にはカナダのプロフットボール球団、ブリティッシュ・コロンビア・ライオンズの2軍キャンプにも参加。テストには落ちたが、筆者の知る限り、当時の日本でアメリカンフットボールに挑んだパイオニアだった。

 国際プロレスではシングルのベルトこそなかったが、杉山、ストロング小林、ラッシャー木村、マイティ井上、アニマル浜口とパートナーを替え、長きにわたってIWAタッグ王座を保持、また現場の責任者ばかりでなく営業面のリーダーとしても吉原社長を支えた大黒柱だった。日本人選手でザ・デストロイヤーの得意技足4の字固めをはじめて使ったレスラーとしても忘れられない。

 柔道から転向した坂口征二と背丈がさほど変わらなかったことから、銀座や新宿のネオン街では、よく坂口に間違えられ、時には「おい、何で俺が坂口なんだ」と酔ったお客さんの首っ玉をつかんだこともあった。坂口とは同じ九州出身で同い年ということもあり、ライバルとして意識するところは多かったはずだ。

 その頑固親父の名を受け継いだKー1ファイター、「グレート草津」こと次男の賢治くんが11月中に引退イベントを行なう予定だという。「人生の区切りを親父と師匠アンディ・フグ(故人)さんに報告したい」と2代目は語る。でっかい目玉の草津選手を偲びながら、息子さんの最後のファイトを見守りたいと思う。

関連キーワード
グレート草津

ページトップ