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殿堂入りで“再起動”。
猪木とWWEの深い縁。
~デビュー50周年の“燃える闘魂”~ 

text by

門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

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photograph byShiro Miyake

posted2010/02/19 06:00

殿堂入りで“再起動”。猪木とWWEの深い縁。~デビュー50周年の“燃える闘魂”~<Number Web> photograph by Shiro Miyake

認定書授与式で満面の笑みを浮かべ、お約束のポーズ。「レッスルマニア」にも登場予定だ

 タイムリーな「ホール・オブ・フェイム」(殿堂)入りだった。2月20日に67歳の誕生日を迎えるアントニオ猪木が日本人として初めてWWEの殿堂に入ったのだ。

 アメリカでの表彰式は現地時間3月27日、アリゾナ州フェニックスのドッジ・シアターで行なわれる。プレゼンターは猪木のかつてのライバル、スタン・ハンセンが予定されているが、これに先立って、9日、都内ホテルで殿堂入り認定書授与式が行なわれた。“燃える闘魂”が主宰するIGFは2月22日、東京・JCBホールで“アントニオ猪木デビュー50周年記念”と銘打った「GENOME11」を開催する。殿堂入り発表と認定書授与式は、この50周年記念興行第1弾にとって、これ以上ないデモンストレーションとなった。

WWFとの蜜月時代を振り返れば、遅すぎた殿堂入り。

 しかし、筆者に言わせれば、'93年に設立されたWWE殿堂に猪木が入るのは遅すぎた感がある。というのも、猪木・新日本と、故ビンス・マクマホン・シニア率いるWWF(WWEの前身)との関係が濃密だったからだ。'81年春、猪木が提唱したIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)開催に真っ先に賛同してくれたのがシニアであった。IWGPが正式にタイトル化されたのが'87年6月(初代ヘビー級王者は猪木)。これがライバル馬場・全日本を脅かす大きな推進力になったことは見落とせない。

 WWFはジュニアに代が替わって名称をWWEに変更。エンターテインメント路線を打ち出し、ニューヨーク証券取引所に株式を上場するなど、従来のプロレス団体にない利潤追求の企業体になってきた。プロレス環境の様変わりで、猪木とWWEの関係が疎遠になったのも時代の流れ。今回の殿堂入りで黒子役を果たしたのは、IGFの陰のプロデューサーとされる猪木の娘婿、サイモン猪木氏だった。

デビュー50周年を迎える“燃える闘魂”は未だ衰えず。

 昨年は腰椎滑り症という難病に取りつかれ、「元気ですか! 元気があれば何でもできる」の闘魂パフォーマンスも湿りがちだった猪木。今年はデビュー50周年記念興行第1弾を起点に、第2弾、第3弾の興行と併せて「闘魂ライブトーク」を全国各地で展開するという。猪木が闘魂ライブでどんな“花火”を打ち上げるのか楽しみだ。

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