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3500試合出場もドラゴンの苦闘は続く。 

text by

門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

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posted2007/06/14 00:00

 無我ワールドの藤波辰爾(53)が5月20日の岡山大会で国内通算3500試合出場を達成した。26日には都内のホテルでデビュー35周年のパーティも行っているが、'71年5月に北沢幹之戦でデビューしているので、実際は36年目。新日本退団を決意した頃と時期が重なっていて、延び延びになっていたのだ。

 プロレスにおける通算出場回数では55歳で現役を退いた師匠・アントニオ猪木や、大日本プロレスのグレート小鹿社長が遥かに上回っているが、記念試合と銘打った大会を行ったのは、故ジャイアント馬場が'93年6月1日に日本武道館で5000試合出場記念興行(生涯出場回数は5758試合)を行って以来のことである。

 筆者は、16歳の少年が郷里・大分を家出同然に飛び出し、新日本のトップに登り詰めるまでのプロレス・サクセスストーリーをつぶさに見てきたが、振り返ってみれば、丈夫で長持ちドラゴン藤波の最大のピンチは、'89年7月からの腰痛による1年3カ月間にも及ぶ長期欠場だった。藤波は当時の苦闘についてこう語っている。

「若い記者によく『名勝負の思い出は?』なんて聞かれるけど、自分の場合は引退まで考えたあの腰痛を乗り越えたことが全てだね。あの欠場がなかったら、3500試合はもっと早い段階で達成できていた」

 昨年8月に独立し、直弟子・西村修と共に無我ワールド・プロレスリングを旗揚げした。藤波は「オレの第二のプロレス人生だね」というが、多団体化時代に打って出た後発団体。K―1やハッスルの興行がひしめく中、ドラゴン藤波の一枚看板では前途は厳しいだろう。

 今春、国際武道大学を卒業しすでにデビューしている柔道三段の征矢学(22)という新しい血を導入したが、藤波は「ウチは身の丈にあった商売をやっていくだけですよ」と語る。年間80試合を目標に、伽織夫人が裏方として指揮をとっている手作りのプロレスは、2年目の苦闘が続く。

 NHK昼のバラエティ番組『ふるさと一番!』の常連でもある藤波。レスラーとタレント、二つの顔で「無我」の宣伝マンとなって今日も各地を飛び回っていることだろう。

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