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失われる昭和の記憶。大田区体育館を惜しむ。 

text by

門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

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photograph byEssei Hara

posted2008/04/03 00:00

失われる昭和の記憶。大田区体育館を惜しむ。<Number Web> photograph by Essei Hara

 昭和プロレスの殿堂がまた一つ消える。こんな風に言ったらいささかオーバーになるが、京浜地区の名物会場、大田区体育館が老朽化し、建て替えのために3月末で閉館することになった。新しい体育館の完成は3年後の予定という。

 '65年、第18回オリンピック東京大会の記念事業として建設されたこの体育館は、収容人数4622人。横浜文化体育館と並ぶビッグマッチ開催の会場としてファンに親しまれた。京浜急行・梅屋敷駅から国道15号線沿いに歩いて5〜6分と、交通の便がよくて筆者も好きな会場だ。商店街で、人気がある店の焼き鳥やモツ煮込みをしばらく味わえなくなるのも寂しい。

 馬場・猪木を取材した世代の記者にとってはとりわけ懐かしい会場である。'72年3月6日、猪木が新日本を旗揚げしたのもこの地だ。同じ年に馬場も独立して全日本を旗揚げし、その翌年に力道山創立の日本プロレスが崩壊した。以降、吉原功の国際プロレスとともに3団体時代を迎え、生き残りを賭けた激しい興行戦争が繰り広げられることになった。

 新日本は、旗揚げ記念興行と銘打って3月に試合を行うことが多かった。そのためか、筆者には「寒い会場」という印象が残っている。都内では今や珍しい、冷暖房設備のない会場だったのだ。

 全日本で忘れられないのは、故ジャンボ鶴田の勇姿だ。'89年4月18日、鶴田がインターナショナル、スタン・ハンセンがPWFとUNヘビー級のベルトを懸けた3冠統一戦の時である。

 試合は、鶴田が土壇場でハンセンのラリアットをかわし、ロープの反動を利用して17分53秒、逆転のエビ固めで勝利し、初の3冠統一王者になった。時は平成元年。3本のベルトを両肩にかけた鶴田の勝利のポーズは昭和プロレスの終焉を告げる雄叫びであったのかも知れない──。

 こんな話を取材仲間のカメラマン、原悦生氏らと飲んでいる席でしていると、旗揚げ2年目のUWFが'85年7月25日に興行を打っていること、しかも佐山が素顔で前田と戦っていることなども、そこで思い出された。

 現在の建物で最後の興行は20日、ドラゴンゲートの試合である。取材後、焼き鳥に焼酎のホッピー割りが、今から楽しみだ。

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