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一時代を築いた男、原田雅彦引退の意味。 

text by

藤山健二

藤山健二Kenji Fujiyama

PROFILE

posted2006/04/06 00:00

 ノルディックスキー・ジャンプの原田雅彦(雪印)が引退した。5度目の代表となったトリノ五輪では体重が規定に200g足りず失格。現地では「次のバンクーバーで雪辱したい」と現役続投に意欲を見せていたが、37歳という年齢もあり、帰国後に引退を決断した。

 '94年リレハンメル五輪の団体戦では金メダルを目前にしながら2回目に97.5mと失速。世紀の大失敗で日本中のため息を誘ったが、'98年の長野五輪では見事に金メダルを手にした。まさに山あり谷ありの競技生活だったが、常に笑顔を絶やさず、独特のキャラクターでジャンプを人気競技にした功績は大きい。

 原田をここまで支えてきたのは、たぐいまれな「向上心」だった。笑顔の裏で常に研究を怠らず、新しい技術を積極的に取り入れた。今ではすっかりおなじみになったV字ジャンプも、日本人で初めて飛んだのは原田だ。'72年の札幌五輪で頂点に立った日本のジャンプ界は、'88年のカルガリー五輪で団体戦最下位に転落。文字通りどん底に沈んだ。そんな状況の中、当時23歳の原田は本格的にV字ジャンプに取り組んだ。'85年にスウェーデンのボークレブが初めて披露したV字は、飛距離は伸びるが飛型点が低く、日本では導入に二の足を踏む選手が多かった。だが誰よりも飛距離にこだわっていた原田は「飛型より何より、とにかく遠くへ飛びたい」と'91年にいち早くV字を取り入れ、翌年のアルベールビル五輪ではラージヒルで4位入賞。これを機に再び日本のジャンプ界は長野へ続く上昇気流に乗った。長野後は背の低い日本選手に不利なルール改正が行われたが、すると今度は自身のジャンプの最大の特徴である「高いフライト」をやめ、より確実性を求めるようになった。どんな時でも「向上心」を持ち続けたからこそ、37歳まで世界のトップに君臨することができたのだろう。

 引退後は雪印で指導者の道を歩むことになる。実際にV字ジャンプを飛び、ルール変更と戦ってきた知識と経験は現在の指導者たちにはないもの。そして、まさに若手選手たちが待ち望んでいたものでもある。4年後のバンクーバーでは、ぜひ指導者として代表チームを率いてほしい。それが、ジャンプ王国復活への近道になるかもしれないのだから。

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