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200本安打の重圧から青木を救った恩師の言葉。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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posted2005/10/27 00:00

 イチロー(マリナーズ)がシーズン210安打を記録したのは、オリックス時代の'94年のことだった。200安打が見えてきたころ「打席に立っていくら力を入れてもバットを振れずにもがく」という夢を何度も見たという。パッと目が覚めると午前3時。それからなかなか眠りにつけず、当時飼っていた熱帯魚に語りかけたり、友だちを起こしてたわいない会話をしたり、ともかく話すことで気分を紛らわせた。そのときの苦しみがあるから、メジャーに渡って5年が経っても、いまだに「200」へのこだわりを持ち続けているのかもしれない。

 ヤクルト・青木宣親は、長いプロ野球の歴史のなかで、「200」という数字の重みを知る2人目の選手ということになった。青木も重圧に苦しんだ。192本のセ・リーグ最多安打記録に並んだ後、パッタリと当たりが止まったことがあった。このとき青木はイチロー同様、電話でしゃべり続けることでプレッシャーから解放される道を探したという。相手は大学時代の恩師、野村徹だった。昨年、早大の監督を辞した野村に悩みを打ち明けると、釣り好きの野村はこう言った。

 「糸をたらして待っていてもだめ。積極的にいかないといけない。いきなり2匹は無理。1匹、1匹釣らなけりゃな」

 青木が記録にこだわったのには理由がある。キャンプ中、自らトスバッティングの相手をしてくれた若松勉監督が今季限りで勇退する。何とかAクラスに残り、200本を達成して送り出したいという思いは強かった。

 「何も言わずにボールを出してくれましたけど、本当はヘルニアの手術をして相当腰が悪かった。今の僕があるのは監督が使い続けてくれたおかげなんです」

 次期監督候補といわれている古田敦也にも恩義を感じている。古田が1000打点を記録した夜、たまたま風呂で一緒になった。このとき古田から「記録やタイトルがかかったときは誰でもプレッシャーがかかるけど、積極的に打ちにいくこと」と言われ、青木は積極的に打ちにいって、だめなら仕方がないと割り切れるようになったという。

 「きれいに抜けるヒットより、ボテボテの内野安打のほうが僕らしいかも」

 200本目は、つまりながらも一、二塁間を見事に抜けていった。

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