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生死の狭間に垣間見る、クライマー魂の真髄。 

text by

平塚晶人

平塚晶人Akihito Hiratsuka

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posted2005/02/03 00:00

生死の狭間に垣間見る、クライマー魂の真髄。<Number Web>

 山岳クライミングは果してスポーツなのだろうか。本映画「運命を分けたザイル」を観終えて、そんな問いが頭を駆けめぐった。

 舞台は'85年、アンデスの氷壁である。2人の若者が難ルートの初登攀に成功するが、下山中に1人がスリップし、片足を負傷してしまう。燃料、食料はすでにない。現場は、助けなど呼ぶべくもない絶境だ。冷静に死を観念する青年と、それを見下ろすパートナーの冷厳な目。見捨てるのか、運命を共にするのか。物語はここから走り出す。やがてクライマーはさらに過酷な選択に直面する……。

 原作は世界14カ国語に翻訳されたベストセラー『死のクレバス』(岩波現代文庫)である。著者は当事者の1人、ジョー・シンプソン。つまり、これは20年前に起きた実話なのだ。

 製作サイドは、この遭難記の初の映画化にあたって、真実性を損なわないことに何よりも神経を使った。ロケの一部を、事故が実際に起きたシウラ・グランデ峰で行い、CGは一切使用していない。そして、ストーリーの語り部としてジョー本人を登場させるという、ドキュメンタリーの手法を用いた。ジョーが話す、絶体絶命の場面に立たされた時に初めてあらわになる宗教観などは、原作にはない要素で、「読んでから観る者」にとっては、長い年月を経る中で、ジョーがあの遭難を自分の中でどう意味づけたのかを、インタビューしているような気にさせられる。

 それにしても、エンディングを観ながら覚える体のほてりが、スポーツ観戦の後の高揚と妙に似ているのはどういうわけだろう。ルールも戦う相手もない山岳クライミングは、明らかにスポーツの一般形から外れている。だが、両者には共通点がひとつある。行為者が、ときとして極限状態に置かれることだ。

 スポーツとは、日々の生活で人がけっして見せようとしない人間の性が、白日の下にさらされる場面にほかならない。死に近づくことでまさに生きていることを実感しようとするクライマーたちは、ぎりぎりの状況に追い込まれた瞬間、人間の弱さ、可能性、そして崇高さを垣間見せる。一流のアスリートと同じように。そしてそれを目の当たりにしたとき、われわれの心は激しく揺さぶられるのである。この映画には、そんな「スポーツの定義と本質」について考えさせる力がある。

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