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鈴木貴久が遺した"いてまえ打線"の伝統。 

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永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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posted2004/06/17 00:00

 近鉄"いてまえ打線"を担い、伝統を引き継ぐ選手を育てていた男が病に斃(たお)れた。鈴木貴久二軍打撃コーチ、まだ40歳という若さだった。鈴木の薫陶を受けた選手は数多いが、大西宏明もその一人。松坂世代の大西は今シーズン、開幕から一軍で活躍しているが、鈴木コーチのある行動がなかったら、まだ二軍にいたかもしれない。

 プロ1年目の昨シーズン、遊びたい盛りの大西が夜間練習をさぼったことがあった。寮へと帰ってきた大西を、待っていたのが鈴木だった。鈴木は「これからやるか」とだけ言うと、ティーバッティングのトスを上げ始めた。こんな時、叱ってくれた方が気分的には楽である。黙って待っていた鈴木の姿を見て、大西はプロとしての態度を反省した。以降、鈴木と二人三脚のバッティング練習が始まり、一度も休むことがなかった。その結果、ウエスタンで3割1分、7本塁打の成績を残し、シーズン終了直前の10月3日に一軍入り。大西が出発する時、鈴木は「今までやってきたことに自信を持っていけ」と見送ったという。

 ローズが抜けた近鉄にとって大砲育成は急務だった。大西はキャンプから一軍に合流、開幕4試合目でスタメンに起用され、プロ初安打を放ち、4月2日のオリックス戦では、先頭打者本塁打を含む3打数3安打。自分のことのように喜んだ鈴木は「いい時ほど注意してやれよ」という祝いの電話をかけていた。

 近鉄の攻撃陣が"いてまえ打線"と呼ばれるようになったのは、いまや伝説となっているロッテとのダブルヘッダー"'88 ・10・19"頃からである。当時6番を打っていたのが鈴木だった。中村紀洋に引き継がれている"フルスイング"も鈴木らが現役時代からの伝統だ。

 しかし、豪快なスイングとは裏腹に鈴木自身は、実に物静かな人だった。コーチとしていろいろと言うタイプではなかったが、選手にかける言葉は愛情溢れるものであった。手塩にかけて育てた選手は山下勝己、下山真二などがいる。彼らが一軍に上がる際「二度と顔を見たくないからな」と言うのが常だった。

 鈴木の訃報を聞いた梨田昌孝監督は「ここまでにしてくれた人の霊前に捧げるヒットを打て」と大西を4試合スタメンに据えた。

 鈴木の追悼試合となった6月1日の日本ハム戦、近鉄は4―0で快勝、選手たちはその勝利を捧げた。

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