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競泳水着騒動を見て、F3のあり方を考えた。 

text by

大串信

大串信Makoto Ogushi

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photograph byMasahide Kamio

posted2008/08/27 00:00

競泳水着騒動を見て、F3のあり方を考えた。<Number Web> photograph by Masahide Kamio

 競泳用水着を巡る騒動は、モータースポーツが抱えている宿命と無縁ではない。モータースポーツは、競技の勝敗に道具の性能が深く関わるために、昔から「スポーツなのか違うのか」という論議を呼んできた。少なくともわたしの場合、モータースポーツは「道具の競争でもあり人間の競争でもあり、その競争がスポーツであるかどうかなどはどうでもよい」と勝手に割り切っている。

 だが水泳となると、なかなかそう簡単に割り切るわけにはいくまい。今回の水着騒動でも、道具に頼って競技の成績を上げることをよしとしない意見が多々見られた。他のスポーツでもそうだろう。

 とはいえ、スポーツと科学の結びつきは今後さらに深まり、道具の性能のみならず、人間の肉体改造の面でも科学が競技結果に関わる比率は高まって、科学の威力を無視するわけにはいかない時代がやってくるに違いない。そういう意味では、モータースポーツはスポーツの最先端を突っ走ってきたのかもしれない。

 今、全日本F3選手権でも道具の性能が困った問題を引き起こしつつあるように思う。F3は本来、人間の能力を磨き、選手を養成するためのカテゴリーである。モータースポーツにおける競争をトップレベルで成立させるためにはトップレベルの道具と競技者が必要だ。

 しかし能力が未熟な人間にトップレベルの道具を与えても、道具に頼るばかりでその能力は育たない。人間の能力を訓練し選抜を行うためには、それ相応でしかも性能が均等の道具を用いなければならない。実際、F3の車両規則は、道具の性能を均等化することを主眼に定められている。

 しかし、均等化の徹底より科学の進歩が先行して、F3という道具の性能が底上げされ、道具と人間のバランスが崩れてしまった。その結果、最近のF3では、自分の能力より道具の性能に頼った走り方をする選手が増えたと感じる。選手養成の観点からはあまり好ましくはない傾向である。

 水着騒動などは、スポーツにとって深刻な問題の入り口でしかない。競技の結果に関わる科学の割合という点では時代の最先端を行くモータースポーツですら、時代とともに変化する課題に直面し続けているのだ。

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