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<三浦知良とD・ジェイムズの往復書簡>
ドーハで命名されたKING KAZUの由来。
 

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Number編集部

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photograph byMegumi Seki

posted2011/04/20 06:00

<三浦知良とD・ジェイムズの往復書簡> ドーハで命名されたKING KAZUの由来。<Number Web> photograph by Megumi Seki

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【カズからD・ジェイムズ記者へ】 ドーハで命名されたKING KAZUの由来。

 プロ26年目のシーズンが開幕した。

 初戦のカターレ富山との試合は、ホームの三ツ沢球技場が何年かぶりの超満員。そんな大観衆の中で、僕も後半21分から途中出場したけど、横浜FCは1-2で負けてしまった。

 その翌週に起きた東日本大震災の影響で、Jリーグは第2節以降の試合が中止となった。でも、こんな大変なときだからこそ、サッカー人として、そして何よりもひとりの人間として、できることをやっていきたいと思う。被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。

 今回は、デイヴィッド・ジェイムズ記者からの手紙。初めて面識がない方の登場です。でも、彼がいなければ、今の僕はないと言っても過言ではないかもしれない。何しろ「KING KAZU」というありがたいニックネームを命名してくださった方だからね。

 デイヴィッドさんが、僕のことをカタールの英字新聞「ガルフ・タイムズ」の一面で「KING KAZU」と紹介してくれたのは'93年。のちに「ドーハの悲劇」と記憶されるアメリカW杯アジア最終予選の北朝鮮戦翌日のことだった。僕は、ドーハの駐在員の方の家を訪問して、そこで新聞記事を見たんだ。正直なところ、その時は「KING KAZU」という見出しにそれほど反応したわけではなかった。むしろ、現地の新聞で僕の北朝鮮戦での活躍(2得点1アシスト)を大々的に報じていたことの方が印象に残っているね。

緊迫する中東情勢のなか、最終予選出場国が一緒に宿泊。

 この大会で思い出すのは、ひとつのホテルにアジア最終予選全出場国が一緒に宿泊していたこと。日本、韓国、北朝鮮の東アジア3カ国と、イラン、イラク、サウジアラビアの中東3カ国が同じフロアに集結していたのだから、今考えると凄いことだよね。しかも、当時は湾岸戦争の余波もあって、中東情勢は非常にナーバスだった。だから、各国を別々のホテルに分けるよりも、ひとつのホテルのワンフロアを借り切って警備を集中させた方が効率的だという判断だったらしい。

 そんな中で、デイヴィッドさんは日本人である僕のことを「KING KAZU」と呼んだ。なぜキングなのか? キング・ペレが在籍していたサントスで僕もプレーしたということに重ねてあるようだけど、それこそ僕の中では「キング」と言えばペレ。偉大すぎる大先輩の愛称を戴くことは光栄だけど、当時はちょっと恥ずかしい感じもした。

 そもそも、日本で「キング・カズ」と呼ばれるようになったのはいつからなんだろう。確か'94年に僕がセリエAのジェノアに移籍した直後に、「KING KAZU」というタイトルのビデオと写真集を出したんだ。このネーミングに対して僕は「さすがに言い過ぎじゃない? キングと言えばペレでしょ」と反論したんだけど、そのまま発売されることになった。その後も'96年にJリーグ得点王を獲って「キング」と呼ばれたり、日本代表のバスで僕がいつも座っていた最後尾の席が「キング・シート」なんてスポーツ新聞に書かれたけど、今みたいなニュアンスではなかった。

【次ページ】 「キング」という愛称が定着し始めたのは……。

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