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パーマーのプレーにはアメリカの夢があった。 

text by

三田村昌鳳

三田村昌鳳Shoho Mitamura

PROFILE

posted2006/11/23 00:00

 シニアのチャンピオンズ・ツアーに参加していたアーノルド・パーマーがついに引退を表明した。77歳だった。

 パーマーは、エルビス・プレスリー、マリリン・モンローと比肩する、1960年代のアメリカを代表するスーパースターだった。その人気は凄まじく、一時は「大統領選挙に立候補すれば、間違いなく当選する」といわれたほどである。

 パーマーがスターへの階段を駆け上がるに当たっては、テレビという媒体の登場が大きかったと思う。マスターズが初めてテレビ中継されたのは1956年。それまでゴルフの映像は、映画館のニュースでしか見ることができなかった。パーマーのデビューとその後の活躍は、テレビの隆盛期と歩みを同じくするのだ。

 当時は愛煙家だったパーマーがトーナメントでタバコを吸えば、それをテレビで見たタバコ会社の社長が「すぐに彼と契約しろ」という命令を下した。辣腕マネージャーとして知られ、後に世界的なスポーツマネージメント・グループの創始者となったマーク・マコーマックは、パーマーにワンポイントが入ったウェアを着せて、巨万の富をもたらした。ブランド化された有名な「傘マーク」である。当時のアイゼンハワー大統領とも親交が深く、プロゴルファーとして初めて、エド・サリバン・ショーにも登場した。

 パーマーの人気は、その攻撃的なゴルフスタイルにあった。どんなピンチでも果敢に攻める。実際、林の中からわずか20cmほどの隙間をぬって、見事にグリーンに乗せるという場面もよく見かけた。反面、大敗することもあった。1966年の全米オープンでは、残り9ホールで7打差あったにもかかわらず追いつかれ、プレーオフで敗れ去っている。パーマーはどんなときも守りに入ることなく、果敢に攻め続けたのである。

 挑戦の姿勢を忘れないパワフルなゴルフ。清潔感あるスタイルに、喜怒哀楽が素直に表情に出る性格。何よりも強い。それでいて、どこか哀愁もある……。アメリカがスターに求める要素のすべてがパーマーのゴルフにはあった。

 僕は以前、パーマーと握手をしたことがある。プロゴルフとビジネスの世界を結びつけたその手は、とても分厚く大きかった。引退の報に接して、パーマーの温かい手の感触が思い出された。

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