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育成するか、引き抜くか。
シート危機管理の必要性。
~フェラーリ新ドライバーの過去~ 

text by

今宮純

今宮純Jun Imamiya

PROFILE

photograph byHiroshi Kaneko

posted2009/09/22 08:00

ベルギーGPで2位に入ったフィジケラ(左)。くしくも現チームメイトとのワンツーだった

ベルギーGPで2位に入ったフィジケラ(左)。くしくも現チームメイトとのワンツーだった

 危険と隣り合わせのスポーツだからこそ、チームは2人の正ドライバーに起こる不測の事態に備え、交代要員を抱えておく必要がある。サードドライバーあるいはテストドライバーとして、レギュラーに準じる力量を持った若い者が望ましく、将来の実戦デビューを視野に入れて“育成”していくのだ。

天才頼みで、若手育成を放棄してきたフェラーリ。

 しかし、マクラーレンがカート時代からL・ハミルトンを養成し、BMW、ルノー、トヨタなどが新人育成プログラムに取り組む一方で、名門フェラーリのチーム方針は違った。

 '99年のイギリスGPでM・シューマッハーが重傷事故に遭った際、チームは前年からテスト開発担当ドライバーをしていたL・バドエルを起用せず、浪人中のM・サロを抜擢。サロは6戦を9位、2位、12位、7位、3位、リタイアと戦績は悪くなく、この年フェラーリはM・ハッキネンにドライバーズタイトルを許したものの、コンストラクターズは4点差で競り勝っている。以来、フェラーリはバドエルのほかにM・ジェネも同じ役割で雇い入れ、シューマッハーを絶対エースに、ナンバー2には'00年に引き抜いたR・バリチェロを据え、若手育成にはまったく興味を示さずにきた。

シューマッハーに追い出された男の“最後の花道”。

 そして今年、F・マッサの大事故の後、シューマッハーの復帰は叶わず、ヨーロッパGPとベルギーGPにバドエルを走らせることになったのだが、これは明らかな失敗だった。最下位という結果以上に、あまりにも遅く、他のドライバーに対し危険すぎるという見方も強まった。結局、フェラーリはバドエルに見切りをつけ、十数人の候補者リストのなかからフォース・インディア所属のG・フィジケラ(写真左)を引き抜くことを決断。彼がベルギーGPで好走を見せたことも大きいが、イタリアカラーを今年再び強める意向を見せているL・モンテゼモーロ会長が「イタリアGPでイタリア人を走らせる」ことにこだわったからでもある。

 フィジケラは'95年9月にフェラーリから招かれテスト走行を経験している。22歳の若者にとっては夢のような出来事だった。しかし翌年、チームはシューマッハーとE・アーバインを獲得。無名の新人はその後チームを転々とし、ついに“最後の花道”が用意されたのだった。14年かけて夢は叶ったのである。

■関連コラム► 真夏の夢に終わったシューマッハーの復帰。 (2009年8月21日)
► フェラーリを脆くした“あの男”の不在。 (2008年12月4日)

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