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五輪本大会に劣らない重い4年間の始まり。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2008/10/23 00:00

 10月5日に行なわれた世界柔道団体選手権。北京代表の多くは出場を辞退し、新鮮な顔ぶれが日本代表に名を連ねた。

 無理もない。代表選手たちは4年間、北京を見据えて日々練習に励んできて、大会は終わったばかりだ。4年という時間は選手にとってどのようなものか。以前、カーリング日本代表の小野寺歩が語った言葉が印象的だった。

 「情熱が現実を引っ張ってきたような4年間でした。4年間、五輪のことを考えない日は1日もありませんでした」

 あるいはシドニー五輪競泳で銀メダルの田島寧子。当時19歳だった彼女が、帰国後こうつぶやいたのを思い出す。

 「このしんどかった思いをまた4年もできるか……自分で分からないんです」

 小野寺は一時休養し、田島はアテネでもメダルを狙う実力をもちながら結局、競技から離れていった。完全燃焼したあとに再び走り出すのはやさしくはない。

 それは、五輪に出られなかった選手にとってはチャンスを意味する。

 世界柔道団体選手権で5位に終わった男子日本代表にあって、3戦全勝と活躍した60kg級の福岡政章は言う。

 「五輪に出た選手たちは今、モチベーションが上がっていない。世界大会に出るためにアピールする場だと臨みました」

 優勝した日本女子の山岸絵美(48kg級)。

 「(この階級で)私がいちばん強いとアピールしたかったです。ロンドンを目指しているので」

 今までは谷亮子が君臨し、直接対決で勝っても代表に選ばれなかった。だが北京で谷が敗れ状況は変わった。山岸の気合いも充実していた。

 多くの五輪代表が欠場する中、出場した選手もいる。その一人、52kg級の中村美里は決勝のフランス戦で開始16秒、得意の小内刈りで一本を奪った。北京では「帰ったら少し休みたい」と言っていた中村だったが、実は違った。

 「帰国した週から練習を始めました」

 北京の悔しさは晴らせたかとの問いには、「半分も。これからです」。

 まだ見ぬ五輪を夢見て。屈辱を晴らすため。立ち位置は異なる。進路を今も考え続ける選手もいる。けれど時計は動いている。それは柔道にかぎらない。

 北京は終わり、再び4年が始まった。

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