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志半ばにして逝った二十山親方を想う。 

text by

服部祐兒

服部祐兒Yuji Hattori

PROFILE

posted2006/08/03 00:00

 綱とりに挑んだ大関白鵬、大関復帰を狙った関脇雅山、新小結で新鮮さをアピールしたかった稀勢の里、初の幕内上位陣総当たりに臨んだ把瑠都、カド番脱出に成功した大関栃東、強さを取り戻した横綱朝青龍……。見どころには事欠かなかった名古屋場所だったが、私が最も注目した力士たちは、志半ばで逝った二十山親方(元大関北天佑)が角界に残した11人の弟子たちだった。

 名古屋場所の番付発表直前の6月23日、突然の悲報が相撲界を驚かせた。元大関の二十山親方、45歳の余りにも早すぎる死。3月の春場所中に体調不良を訴えた親方は、多発性脳梗塞で緊急入院。公表は控えられたが、同時に腎臓がんも判明した。審判委員の仕事を休んで治療に専念したが、病状は日ましに悪化。6月になってさらに体調を崩し、奇跡の回復を信じる多くの人の願いも、遂に親方の病魔には勝てなかった。

 現役時代の二十山親方は、'76年春場所初土俵。入門当初から横綱級の逸材と注目されていた。その恵まれた素質に、先代・三保ヶ関親方は「北の空の下(北海道・室蘭市)に生まれ、その人の右に出る者なし」と「北天佑」という四股名をつけた。強靭な足腰と、角界でも当時3本の指に入るほどの怪力を武器に、豪快な投げやのど輪攻めを披露。全盛期の横綱千代の富士に3連勝するなど、大物ぶりを遺憾なく発揮した。22歳の若さで大関に昇進。その色白の肉体から「北海の白熊」と称された。横綱昇進は夢に終わるも優勝2回、大関在位44場所は貴ノ花、千代大海に次ぐ歴代3位の記録を誇る。

 引退後は年寄「二十山」を襲名。'94年に部屋を興し、'04年秋場所、ロシア出身の白露山が新十両となり、念願の初関取を誕生させた。白露山は順調に幕内に昇進し、まさにこれからという時だっただけに、親方の無念は計り知れない。

 親方の死後、師匠のいない力士は土俵に上がれないため、遺された11人の弟子たちは一門の北の湖部屋に移籍。通夜の席で「日本中で一番大事な人だった」と号泣した白露山は、ショックで体重が14kgも落ちたという。失意のどん底でも親方が残した教えを胸に、必死の覚悟で名古屋場所を勤め上げた11人の弟子たち。親方の遺志を継ぎ、これからも熱い北天佑魂を土俵上で見せ続けてほしい。

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