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苦難を経て人気大会へ。全豪100年史物語。 

text by

吉松忠弘

吉松忠弘Tadahiro Yoshimatsu

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photograph byHiromasa Mano

posted2005/02/17 00:00

苦難を経て人気大会へ。全豪100年史物語。<Number Web> photograph by Hiromasa Mano

 今年、4大大会の開幕戦でもある全豪は、100周年を迎えた。4大大会の中で最も遅い1905年に始まった大会は、今では選手が最も好きな4大大会として評価し、センターコートとそれに次ぐ1番コートは、4大大会で唯一、開閉式の屋根を持つ近代的な施設で行われている。しかし、現在の地位も、苦難の歴史を経て築き上げられたことは、あまり知られていない。

 オーストラリアは、ほかの4大大会が行われる英国(ウィンブルドン)、フランス(全仏)、米国(全米)と比べ、地理的に大きなハンデを抱えていた。'70年に現在の世界プロツアーが始まると、年々、日程は過密になり、賞金も増加した。1月に、わざわざ遠いオーストラリアに足を運ぶよりも、トレーニングの時期にあてる選手が増え、賞金も低かった全豪は、魅力を欠いた大会となった。開催時期を'77年から12月とし、4大大会最終戦としたが、今度はクリスマスシーズンとかち合い、選手は来なかった。特に女子はひどく、現在128人の選手が出場するシングルスが、32人しか出なかった時期もある。国際テニス連盟(ITF)は、当時、これ以上、全豪が改善をしないなら、4大大会のカテゴリーから外すと警告している。

 関係者は、まず賞金の確保から始めた。今でも同様だが、4大大会で全豪だけがスポンサーの冠が付く。当初は、反発もあったが、ある程度の賞金を確保するには、避けられない策だった。その次に、施設の改善に手をつけた。開催都市メルボルンのあるビクトリア州に、ナショナルテニスセンターの建設を掛け合った。'88年から、それまで民間クラブで行われていた大会を、完成したナショナルテニスセンターに移した。また'87年から、再び1月開催に戻すことで、全豪に優勝した選手だけが、年間4大大会全制覇に挑めることをアピールした。現在は、大会名にアジア太平洋の4大大会という副題を付け、積極的に、アジアへの普及を呼びかけてもいる。

 日本も、彼らの歴史から学ぶことは多い。不況と選手の頭打ち状態から、なかなか大会を容易に開催できない日本だが、オーストラリアの復興に、何かヒントを得られるかもしれない。わざわざアジアに手をさしのべている彼らに、日本はいまだに何も答えを返していない。

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