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W杯予選の「霧」の中で彼らに何ができたのか。 

text by

永井洋一

永井洋一Yoichi Nagai

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photograph byKoji Asakura

posted2005/03/03 00:00

W杯予選の「霧」の中で彼らに何ができたのか。<Number Web> photograph by Koji Asakura

 あるイギリスの軍人が60年ほど前にこんなことを言っている。「戦いの霧は敵味方に関係なく発生するが、それによって惑うのは、混乱した思考と修練不足によるもので、戦いの霧によるものとは峻別しなければならない」。「戦いの霧」とは、戦場という非日常空間で生じる、正常な判断や行動を妨げる不測の要素のことであろう。

 W杯予選という「霧」は、日本にも北朝鮮にも様々な形で視界不良を強いてきた。その中でのロスタイムの勝利。北朝鮮の試合運びがまるで高校生のように真っ正直だったこと、GKが明らかに経験不足だったことが命運を分けたのかもしれない。日本の不甲斐なさを嘆き、北朝鮮の健闘を讃えることはたやすい。表面上は両者の間にはほんの数分、数十センチの差しかない。しかし、その差を埋める「修練」にどれほどの時間と経験を必要とするかも考えておく必要もあるだろう。我々がその数分、数十センチを実感させられたのは'93年のドーハだった。

 追加点が奪えずに膠着状況になった時、3―5―2から小笠原満男、中村俊輔を生かす4―4―2にスムーズにシフトし、さらに早いタイミングでロングボールを入れる形を組み込んだ。リードされながら、同じペースでポゼッションを繰り返すだけだった'02年W杯のトルコ戦に比べれば、選手のゲームマネジメント力は確かに進化している。久保竜彦、藤田俊哉、大黒将志と投入された交代選手が結果を残すのも、時間と状況に応じて誰が何を為すべきかが理解されていることの証である。

 「どんな戦場にも戦闘に決定的な場所がある。その場所を占有することによって戦いの原則の適用を容易にして勝利を保証することができる」とは、70年ほど前のフランスの軍人の言葉だ。日本はジーコの下、ようやくその「場所」を占有する力をつけつつある。僅差で涙を呑む側から、涙を呑ませる側にまわろうとしている。しかし、依然、「霧」には惑わされ、「場所」を占有する力も不安定だ。

 日本の選手にシュートの決定力さえあれば試合はワンサイドだったはずだ。しかし、その決定力はシュート練習を繰り返せば得られるというものではない。やはり、今回の試合のような経験を繰り返していくしかないのだ。その意味では、残る5戦でも苦しみ抜いて結果を残すことが、将来の糧になるだろう。

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