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昭和の名ボクサー関光徳さんを悼む。 

text by

前田衷

前田衷Makoto Maeda

PROFILE

posted2008/06/26 00:00

 昭和30年代後半から40年代初めにかけて、日本のボクシング黄金期に華々しく活躍した関光徳さんが66歳の若さで急逝した。

 世界王者の畑山隆則、新井田豊を輩出した横浜光ジムの会長を務め、指導者としても成功を収めたが、古いファンにはやはり「ボクサー関光徳」の印象が強い。

 「今だったら、世界チャンピオンになっているよ」。訃報に接して、ファイティング原田さんはこう話したが、筆者も躊躇なくこれに同意する。世界王者が数え切れないほどいる現在と違い、10階級10人しか存在しない頃に、世界を手中にしかけたのだから、原田さんが「今なら──」と言うのは無理もないのだ。

 関さんの試合を、何度手に汗握って見たことだろう。華奢な体つき、一見優男風だが、サウスポーから相手の出端に引っ掛けるようにして放つ右フックが決まると、とてつもない破壊力を生じ、次の瞬間、相手は吹っ飛んでいた。

 世界王座には5度挑んでいずれも勝てず。とくに昭和41年夏、ビセンテ・サルディバルとの初戦では、無敵のメキシコの英雄を一度はキャンバスに這わせ、ベルトを手にしかけたこともあった。この善戦で関さんは当時のメキシコで最も有名な日本人となったのだが、ついに世界を手にすることなく引退する。

 それゆえ“悲運の拳雄”と呼ばれたが、本人はこれに否定的で、「自分ほど幸せなボクサーはいない。5度も世界挑戦できたんだから」と語っていた。たしかに、並のボクサーであれば、結果を出さずにこれほど多く世界挑戦はできまい。

 指導者に転じてからは、何人ものチャンピオンを育成し、念願の世界王者も育てた。ただ、不思議だったのは、厳しい指導で知られた人が、世界王者になった新井田に対し、やかましいことを一切言わなくなったことだ。同じ世界王者でも、畑山の場合はすでに出来上がった選手をオーナーの一存でトレードにより迎えたため遠慮もあったろうが、新井田は4回戦から手塩にかけて育てた選手である。なぜかと聞けば、「もう自分を超えてしまったからね」とポツリ。いつまでもあれこれ言うべきではないというのである。愛弟子に対する賞賛と、自らがついに果たせなかった「世界王者」への畏敬の念をそこに感じたものである。

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