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作家転身の異色ボクサー、ホセ・トーレスの死を悼む。 

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前田衷

前田衷Makoto Maeda

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posted2009/02/26 00:00

 この冬は内外で例年になく多くのボクシング関係者の訃報が相次いだ。中でも驚いたのは、タフで死にそうもなかったホセ・トーレスが心不全で急逝したことだ。享年72。元世界ライトヘビー級王者にしてプエルトリコの英雄だった。

 6月にニューヨークのボクシング殿堂博物館に行けば、必ずこの人と会えた。気さくで、いつも冗談を言って笑わせる元チャンプの一番の財産は、ニューヨークの作家たちに多くの知己を得ていたことである。とくにノーマン・メイラーとピート・ハミルというボクシング好きの作家が彼の文章指導の先生だった。

 作家・宮本美智子さんの『マイ・ニューヨーク・フレンズ』によると、トーレスの才能を最初に見込んで文章の手ほどきをしたのは、親友のハミルだった。メイラーには、英文の個人レッスンを受ける代償に、スパーリングの相手をさせられた。こういうことがなければ、邦訳もされ評判となったアリやタイソンの伝記も世に出ることはなかったろう。

 トーレスが'83年に来日した際、宮本さんと一緒にファイティング原田氏のジムや草月会館を訪ねたことがある。なぜ草月流かというと、映像作家としても著名な家元・勅使河原宏氏が、'50年代末に偶然ニューヨークのジムで練習中のトーレス相手に16ミリカメラを回した。これがきっかけでドキュメンタリー映画「ホゼー・トレス」が完成したからである。

 家元は珍客の来訪を大いに歓び、わざわざ会館内の試写室でこの作品を上映してくれた。若きトーレスがジムワークをしているシーンで突然、目の前の本人が言う。「後ろで見ているあの男が誰かわかるか」。ボクシング記者にしか見えない。それが、のちのニュー・ジャーナリズムの旗手、若きゲイ・タリーズだった。

 トーレスの訃報を聞き、すぐに元世界ジュニアウェルター級王者の藤猛さんに知らせると、オーッと電話の向こうで唸るような声を上げた。はるか昔、2人はアマチュアの全米大会で親友になった。ある時、藤さんにトーレスが「ニューヨークに来て、一緒にプロになろう」と誘った。これに応じていたら、藤さんは同じカス・ダマト門下でタイソンのような強打者として騒がれたかもしれない。そうなれば、当然「ハンマーパンチ」「ヤマトダマシイ」の物語もなかったはずである。

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