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転職、日本一、世界一。王JAPAN広報の1年半。 

text by

渡辺勘郎

渡辺勘郎Kanrou Watanabe

PROFILE

photograph byKoji Asakura

posted2006/05/08 00:00

転職、日本一、世界一。王JAPAN広報の1年半。<Number Web> photograph by Koji Asakura

 WBC優勝の歓喜に沸く王JAPANの輪の中に梶原紀章の姿があった。梶原はわずか1年半前は、スポーツ紙記者という取材する立場にあった。

 野球、それもパ・リーグ好きだった梶原は関西大を卒業して、大阪のサンケイスポーツに入社した。日経新聞にも合格したが、野球にかかわりたくて、スポーツ紙を選んだ。入社してまずオリックス番になる。担当した'99、'00年は、イチローが日本でプレーした最後の2年だった。その後、阪神番を4年。18年ぶりの優勝を見届け、お世話になった岡田が一軍監督になったのも担当した。記者として、取材したい場面をほとんど目撃できた。一方で、次の目標が見つからずにいた。

 そんな時、阪神とロッテのトレードをスクープしようと訪れた取材現場で、偶然会ったロッテ関係者との何気ない会話が梶原の運命を変えた。フロント入りに興味を示した梶原に、ロッテから球団広報への転職の打診があったのはその半年後、'04年11月11日のことだった。

 客観的にみれば、とても転職できるような状況ではなかった。7月に結婚し、関西にマンションを買い、ローンもかかえていた。さらに、その日の朝、妻からは妊娠を告げられていた。だが、梶原は二つ返事で受けた。

 「返事を保留したら、話がなくなってしまうかもしれない、と思って」

 岡田監督に報告すると「良かったな。俺も記者を球団に入れたいと思ってたんや」と励まされ、そういう発想があることを知り、力を得た。

 昨年のロッテの快進撃は記憶に新しい。31年ぶりの日本一、さらにはアジア一。

 物語はこれで終わらなかった。今年のキャンプが始まって間もなく、ロッテから8名が出場したWBCに選手付き広報として同行することが急遽決まった。福岡での代表合宿で再会したイチローには「太ったなあ」と声をかけられた。

 WBCでは、ソフトバンクの松中信彦、川崎宗則らに刺激を受けた。

 「あれだけの人気球団なのに、それにおごることなく、報道陣に対する姿勢がしっかりしている」

 転職して1年半で世界一まで経験した梶原。だが、ロッテを人気球団にするという目標のため、「まだまだ課題だらけ」の日々が続いている。

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