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WNBAを支えたスター、
リサ・レスリーの功績とは。
~米国女子バスケのスター引退~ 

text by

宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

PROFILE

photograph byNBAE/Getty Images

posted2009/10/27 06:00

リーグMVPに3度輝き、米国代表でもアトランタ五輪から4大会連続で金メダルを獲得

リーグMVPに3度輝き、米国代表でもアトランタ五輪から4大会連続で金メダルを獲得

 9月26日、WNBAの西カンファレンス決勝第3戦。試合残り1分39秒、ゴール下でリバウンドを取ろうとポジション争いをしていたリサ・レスリー(ロサンゼルス・スパークス)は6つ目のファウルを吹かれ、ファウルアウト退場となった。レスリーの12シーズンにわたるWNBAキャリアの最後だった。

 ベンチに戻ったレスリーは、すでにベンチに下がっていたキャンディス・パーカーと抱き合った。レスリーの後を継ぐと誰もが期待する若手スターだ。パーカーがボロボロ涙を流して泣いているのとは対照的に、レスリーは意外なほどさっぱりした表情で、パーカーを慰めていた。優勝して引退したいとの思いは人一倍強く、敗戦での引退は悔しかったはずなのだが、できることは全てやったという達成感があったからなのだろうか。

女性らしさを大切にしたレスリーのプロ意識。

 少しして、いつものようにお洒落ないでたちで記者会見場に出てきたレスリーは、笑顔で達成感を語り、対戦相手のフェニックス・マーキュリーを称え、思い出を語り、リーグの現状を語り、後に残る選手たちへのアドバイスを送った。

「私たち選手は(WNBAを売るための)『商品』なのだから、コート内外での装いも大事」と言うレスリーは、試合中でもいつもきれいにまとめた髪にチームカラーのリボンをつけ、口紅を引いていた。競争心むき出しで闘う激しいアスリートでも、女性らしさを犠牲にする必要はないというのが彼女の持論だった。

 いろいろな意味で、女子スポーツの常識や偏見に挑んできた。1997年に始まったWNBAのオリジナル・メンバー。すぐに潰れると言われた女子プロリーグを13年間支えてきた。'02年にはWNBA試合で初のダンクを成功させて話題になった。'07年には娘を出産するために産休を取るも、その翌年には現役に復帰し、母親業とプロ選手を両立させた。

女子バスケ選手の模範であり続けた13年間。

 WNBAはこの13年間で成長し、競技レベルも上がった。女子選手もプロを夢見ることができるようになった。一昔前には考えられなかったことが現実になった過程は、レスリーなしでは語れない。

「いつも全力でプレーし、ロールモデル(模範)となれるように努力してきた」とレスリー。今後はバスケットボール学校を運営する一方、テレビ解説などの立場からWNBAを支えていきたいという。

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