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波瀾万丈を経た、新ヘッドコーチの強さ。 

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宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

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posted2005/11/24 00:00

 ミネソタ・ティンバーウルヴスの新ヘッドコーチ、ドウェイン・ケイシーにとって、NBAヘッドコーチのキャリアは因縁試合で始まった。何しろ、開幕戦の相手はポートランド・トレイルブレイザーズ、続く2戦目はシアトルでのスーパーソニックス戦である。シアトルはケイシーが昨季までの11シーズンをアシスタントコーチ、あるいはアソシエイト・ヘッドコーチとして過ごした古巣であり、ブレイザーズの現ヘッドコーチは昨季までともにソニックスのベンチで采配を振るったネイト・マクミランだった。元仲間との2連戦は、彼にとってはまるで卒業式のようでもあった。

 特に、第二の故郷でもあるシアトルでの試合は特別だった。「試合前に友達、知り合いと会い、言葉を交わすだけでも感傷的な試合だった」とケイシーは言う。

 しかし、いったん試合が始まれば別。サイドラインではたちまちプロのヘッドコーチの顔になった。オーバータイムの接戦にも、NBAのヘッドコーチ1年目とは思えないほど落ち着き、堂々と指揮していた。試合は5点差でティンバーウルヴスが敗れた。自分が育てたソニックスの選手たちの活躍をさぞ複雑な思いで見ていたのだろうと聞くと、「別に複雑な思いというわけではなかった。いったん試合が始まったら勝ちたいからね」と、プロの答えが返ってきた。

 48歳で初めてNBAヘッドコーチの座を手に入れるまで、ケイシーのバスケットボール人生は波乱万丈だった。ケンタッキー大のアシスタントコーチ時代にリクルート・スキャンダルの渦中に巻き込まれ、辞任に追いやられた(スキャンダルに関してはケイシー自身は無実を主張し続けている)。その後、アメリカでは次のコーチ職を見つけることができず、日本に渡っていすゞや積水女子チームなどをコーチ。1994年、当時ソニックスのヘッドコーチだったジョージ・カールに登用されてソニックスのアシスタントコーチになったが、ヘッドコーチになるまで11年かかった。しかし、それだけの経験をしたからこそ今の彼がある。

 「ヘッドコーチは試合に負けたら全部自分の責任だ。確かにプレッシャーだが、これまでずっと望んできたこと。喜んで引き受ける」とケイシーは言う。

 その潔さがすがすがしく、頼もしい。

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