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世界にアピールできるか好転機を迎えた青木剛。 

text by

浅田真樹

浅田真樹Masaki Asada

PROFILE

posted2008/08/27 00:00

 '00年アジアユース選手権でU-19代表を視察した当時のA代表監督、フィリップ・トゥルシエは、ひとりの選手を名指しで絶賛した。もしかすると、同世代のなかで一番初めにA代表に近づいたのは、彼だったと言えるのかもしれない。それが当時、前橋育英高3年の青木剛だった。

 今でこそ、守備の人のイメージがある青木だが、当時はボランチの位置から鋭いスルーパスを連発し、攻撃をもリードするなど、その存在は際立っていた。

 青木の才能に魅せられたのは、トゥルシエだけではない。アテネ五輪代表の立ち上げ当初、監督の山本昌邦は、人材が不足していたリベロに青木を抜擢した。1対1での守備や空中戦の強さに加え、最終ラインからでも正確にロングフィードできることが、その理由だった。

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