SCORE CARDBACK NUMBER

南米テストマッチ2連戦。「ドサ回り」で掴んだ逞しさ。 

text by

大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

PROFILE

photograph byNobuhiko Otomo

posted2005/05/12 00:00

南米テストマッチ2連戦。「ドサ回り」で掴んだ逞しさ。<Number Web> photograph by Nobuhiko Otomo

 成田からアトランタ経由でブエノスアイレスへ。高速船で大河ラプラタを渡り、バスに乗り継ぎモンテビデオまで37時間。日本代表が再建の地に選んだ南米大陸は、記者にとっても遠かった。

 だが、現地の日本代表は逞しかった。「移動は多かったけど、時差は気にならなかった。グラウンドもグシャグシャだったりしたけど、去年のルーマニアを考えればマシです」。箕内拓郎はサラリと言った。3月30日に日本を発ち、フランス合宿では連日の氷雨、ときには雹が降る中で連日午前午後の2部練習。ウルグアイでは雨と泥田のグラウンドでも、アルゼンチンでは真夏のような日差しの下でも。桜前線が列島を縦断するほぼ1カ月間で、桜の軍団は地球の裏側までを往復。それも2人のフランス人コーチの指揮下、激しくコンタクトしながら常に判断を要求されるメニューを連日消化しながら。

 「判断といっても、こうなったらこうすべきという『常識』を養う感じ。日本では見たことのない、攻守両方の側にとって実戦的なドリルです」(箕内)

 フランス、スコットランドに肉薄して絶賛された'03年W杯から僅か1年後、欧州遠征で目を覆う惨敗。箕内はともに主将だった。「その後は国内で勝っても周りの目が冷たく見えた。『強いね』と言われても『海外とやれば違うんだろ』と思われてるような。だからケツは自分で拭くというか、当事者として結果を出したい。信頼を取り戻してお客さんにもラグビー場に戻ってきてほしいんです」

 ふと10年前にタイムスリップしたような錯覚を覚えた。NZに145点を奪われた'95年W杯の後、村田亙や元木由記雄から聞いた言葉とあまりに似ていたからだ……これも必然か。あの頃、ジャパン再建へのオーラを最も発していた村田が、負傷者の補充で2年ぶりに代表復帰。「これも何かの縁かも。元木も廣瀬(佳司)もあの頃一緒にジャパンを作った仲だし、箕内は同じ福岡出身。手助けしたい」と突然の招集に駆けつけ、37歳の肉体を張り続けた。やはり補充で急遽呼ばれた浅野良太は挙式の翌日、花嫁を残して南米へ。初代表の後藤翔太も新婚10日目の旅立ちだった……。

 結果は厳しかった。だが全てが無に帰すわけではない。8日の香港戦で始まる国内シリーズ。進化の証を見せてほしい。

ページトップ