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スーパーGTの魅力は、時代に受け入れられるか。 

text by

大串信

大串信Makoto Ogushi

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posted2006/10/26 00:00

 レーシングカーの性能が競技の勝敗に及ぼす影響はきわめて大きい。しかも科学技術の進化によりその比率が高まって、競技者の技量の競争はレーシングカー性能の競争に埋もれて見えにくくなり、自動車レースは競技に人間ドラマを期待するファンにとって年々つまらないものになりつつある。この傾向を打破してファンの興味を引きつけるため、いくつかのカテゴリーでは規則を改定してゲーム的要素を盛り込み、競技に変化をつける試みが為されるようになった。その先端を行っているのが、他ならぬF1グランプリである。

 日本では、スーパーGT(S−GT)選手権が、独自の競技規則で競技を演出し大人気を集めている。S−GTの競技規則の原則は、本来基本設計の異なる市販車ベースの競技車輛の性能を均衡させるため、それぞれ異なるハンディを定めたうえ、好成績を収めた車輛には次戦からさらにハンディを増し、下位に低迷した車輛のハンディを軽減するという点にある。これにより、同じ車輛が勝ち続けることがなくなり、見た目は各車実力伯仲のレースが実現する。

 当然勝てばハンディが増してしまうから、シリーズ全体を通して見たとき、ある程度ハンディが増してしまった場合には、不得意なコースで行われるレースで故意に下位になってハンディを軽減し、その次のレースで再び勝負をかけたり、系列チーム間で順位を譲り合ってお互いのハンディを有利に調節したりするという戦略が生まれる。

 科学技術の進化を止めることができない以上、わたしは自動車レースの未来形のひとつとしてこの種のゲーム的演出には可能性を感じる。そこから生まれるこれまでにない戦略は、新しい魅力だと思う。しかし一方、故意に順位を調節するという行為を許せないというファンや関係者も少なくはない。

 今年のS−GTも大詰め残り2戦。シリーズチャンピオンをめぐって、次のレースでどのチームのどの車輛がどの順位を狙うのか、はたまたどの車輛が本来獲得できるはずの順位をどの車輛に譲るのか、予想が入り乱れている。その予想は自動車レースの新しい楽しみ方なのか、興ざめした人々の自虐行為なのか。判定は時代が下すことになるのだろう。

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