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最高のサッカーファン、富樫洋一氏を悼む。 

text by

田村修一

田村修一Shuichi Tamura

PROFILE

posted2006/03/09 00:00

 「ほう、サッカーで飯が食えるようになりましたか」

 '93年にJリーグが開幕して間もないころ、ある大先輩のジャーナリストに挨拶にいったところ、差し出した名刺を見てしみじみと言われた。サッカーの取材用に新しく作ったその名刺に、私は気恥ずかしさを決意の強さで隠しながらフットボールアナリストの肩書きを記していた。

 サッカーでまだ飯が食えなかった時代、純粋なフリーランスなどほとんど存在せず、サポーターとフリーライターの境界がいまだ未分化だった時代に、フリーランスの草分けのひとりとして活動していたのが富樫洋一さんだった。原稿料など微々たるもの。1年を数十万円で暮らし、確定申告の際に税務署から、「この収入でよくやっていけますね」と言われながら。

 この手のエピソードには事欠かないが、暗いところがまったくないのは彼の人柄だろう。イタリアサッカーへの傾倒から、自らジャンルカ・ビアリ、トト・スキラッチを引いてジャンルカ・トト・富樫と名乗る。まあ立派な色物である。文章も分析やルポルタージュよりも、エンターテイメント色の強いコラムにこそ彼の真骨頂があった。

 サッカーの認知度が増し、メディアがそれにつれて大きくなっても、富樫さんはサポーター的な立ち位置を保ち続けた。取材者・ジャーナリストとしての活動よりも、サッカーを見ることの楽しみ、サッカーを愛することの幸せを、彼はメディアを通して表現していたように思う。

 そうした浮世離れしたある種の純粋さが、誰からも愛された理由なのだろう。エジプトで訃報を聞いた知人・友人たち──フランク・シモンはフランス・フットボール誌に追悼記事を書き、ファイサル・シェハトはフット・アフリカ誌の巻頭言でこれから彼の死を悼むという。そしてアフリカサッカー連盟は、アフリカ選手権決勝戦の前に、富樫さんを偲んで黙祷を捧げた。日本でも告別式は、多くのサポーターが参列して盛大であったと聞く。

 54歳の早すぎる死は、志半ばの死でもあるのだろう。だが非業の死という言葉は富樫さんには似合わない。サッカーを愛したまま富樫さんは亡くなった。幸福な死であったと思うことが、彼への最大の手向けではないだろうか。

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