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競馬場がなくなるのはもう見たくない。 

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posted2004/10/21 00:00

競馬場がなくなるのはもう見たくない。<Number Web>

 地方競馬は青息吐息。どこそこ競馬廃止のニュースなんて、今や珍しくもない。ほんの数年前、4兆円に手が届いた中央競馬の売り上げだって、3兆円かつかつというこのご時世。あれほど通った競馬場に場外に、そういやとんとご無沙汰だなあっていうアナタにこそ、本書を読んでもらいたい。たぶんアナタが競馬と関わっていた時には見向きもしなかった「稼業としての競馬」の現実、ほぼ毎日、日本のどこかに競馬と一緒にあったはずの、ささやかな「華やぎ」の意味。そんなことを思い起こすきっかけになるはずだ。そしてそのうち、アナタがどうしてそんな「異界」に関わることになったのか、たかだか馬の駆けっこにすぎないシロモノに、どうしてあんなに夢中になれたのか……。うやむやにしてきた本当の理由に気づかされるに違いない。官職を捨て、ひたすら競馬の現場をほっつき歩いてきた大月隆寛だからこそ記せたナマの競馬の姿が、ここにはある。

 本書の兄貴分にあたる競馬論集『たてがみ三度笠』の中で、彼はこう語っている。

 『もう一度、僕は競馬場でただの「個」に過ぎないことに静かに対面することから始めるしかない。何十万人の〈その他おおぜい〉がこぶしを突き上げ同じ馬名のコールを繰り返すことが、〈その他おおぜい〉の文化としての競馬にとって果たして幸せなことかどうかを、他の誰でもない、その何十万人の「個」が〈その他おおぜい〉の立場の内側から考え、組織することをもうそろそろ始めねばならない』

 空前の競馬ブームに沸く'93年、早くも彼はうわっつらの人気ばかりでこの国の「稼業としての競馬」が立ち行くわけのないことを見抜いていた。同時に、「スタンドのろくでなし」としてまた書き手として、寺山修司に続く語り部の登場を希求しながら、自身の立ち位置を探していた。で、その先がいかにもらしいのだが、彼は自身の使命を、語り倒すことと同時に、行動することとも心得た。寺山が虚実の皮膜を縫うように物語をつむいでいったのに対し、彼は民俗学者の矜持を胸に、「I was there(その時、オレはそこにいたんだ)」を貫くことを選んだのである。

 本書からその後の奮闘ぶりを拾えば、地方競馬廃止のさきがけとなった中津競馬の一件で「I was there」はI'm angryへと変容し、新潟、益田、上山と立て続けに地方競馬が廃止に追い込まれるのを見ながら、それはとうとうI have to doの境地へと至った。崩壊寸前の馬産地をつぶさに見て歩き、「なかったこと」にされつつあるアラブ競馬の存在意義を叫び、ハルウララ騒動の意味を考察しながら、彼は「うまやもん」たちの居場所をマジで探し続けた。頭の中の話ではなくて、現実に行動を起こしたのである。

 本書を上梓した後も、廃止が決まった高崎競馬の存続のため、無理を承知でトレセンでの競馬開催を唱えて現地のうまやもんたちと東奔西走、返す刀で風前の灯となった笠松競馬存続のため、北海道の馬産地から永田町&霞が関界隈まで駆けずり回る毎日。もちろん現実は厳しい。だが、彼のますらおぶりが、豊かな競馬の未来の一端を指し示しているとしたら、これほど痛快なこともない。現場から遠く離れたプロ野球オーナーたちの暴走を食い止めたのは、銭勘定より大切なことがあると思い立った人々の「熱」ではなかったか。

 「これ以上、競馬場がなくなるのを見たくない、それだけだよ。これが最後って競馬を見つめる時のうまやもんたちの、あの何とも言えない表情は、とても言葉にならない……」

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