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バレンタインと共に歩んだ
小宮山悟のプロ野球人生。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

photograph byKYODO

posted2009/10/06 06:00

引退後の進路は未定としながらも野球の普及や、指導者の道を選択する可能性を示唆した

引退後の進路は未定としながらも野球の普及や、指導者の道を選択する可能性を示唆した

 ロッテの小宮山悟が引退を決めた。44歳。プロ野球生活18年目の決断である。スポーツ選手にしては少々理屈っぽかったが筋を通す男であり、「自分はボビーに育てられ、ボビーに拾われた」と言ってはばからなかった。バレンタインが今季限りで監督を辞任することも、引退の要因になったのかもしれない。

早大では数学の教員免許を取得。文武両道の知性派だった。

 1990年に早稲田大からドラフト1位でロッテに入団。同期には野茂英雄、佐々木主浩、潮崎哲也ら後の球界を背負う錚々たるメンバーが揃っていた。

 早大入学も他のスポーツ選手とは異なり、2浪して一般入試合格という変り種。数学の教員免許を持ち、文武両道という言葉が良く似合う男だった。当時ゼミの担当教授で、現在はJ1の京都サンガ監督を務める加藤久は「スポーツ選手のあるべき姿」とよく褒めていたものだ。

 小宮山のプロ野球人生に転機が訪れたのは、やはり'95年にバレンタインがロッテの監督に就任したときだろう。メジャー流の調整を学んだ結果、成績が向上し、'97年には最優秀防御率を獲得している。

 その後、横浜にトレードになりFAを取得した'02年、当時メッツの監督だったバレンタインの下へ移籍。1年間の浪人生活を経て、'04年にバレンタインがロッテの監督に復帰すると、小宮山もロッテに再入団を果した。まさにバレンタインと共に歩んだ野球人生だったのである。

 バレンタインも「敗戦処理の試合を任せても、嫌な顔一つせずに投げてくれる」と小宮山のプロ意識を高く評価していた。

若手の手本となった、味わい深い手練れの投球術。

 選手生活晩年は80km台の揺れて落ちる魔球「シェイク」と、140km台に満たないストレートを駆使し強打者を手玉に取った。ベテランらしい味わい深い投球を披露してくれたものである。「真っ直ぐが速ければ打者を抑えられるほど、野球は単純ではない」ということを身をもって若手に示してくれる、良いお手本だった。

 今季限りで横浜を戦力外となった工藤公康にも同じことが言えるが、優勝争いを演じられる球団にいれば、経験や実績を活かし、まだまだチームに貢献できる。それだけに、引退が残念でならない。

 通算勝利数は117勝。負け試合のほうが多いが、メジャー挑戦、1年間の浪人生活などファンの記憶に残る、波乱に満ちた野球人生だった。

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