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五輪欠場から2カ月、
野口みずきが語った真実。 

text by

富沢高行

富沢高行Takayuki Tomizawa

PROFILE

photograph byTakayuki Tomizawa

posted2008/11/06 00:00

 日本中を驚きと失望に包んだ北京五輪欠場から2カ月。女子マラソンの野口みずきが初めて公の場に姿を現し、重たかった口を開いた。

 10月11日、新潟県佐渡市で開かれたトークショーに出席。司会者が北京五輪の話題を避けながら進行していたとき、自ら切り出したのだ。「みなさんに、お詫びをしなければなりません。故障で出場できなくなって本当に申し訳ないと思っています」。声が詰まり、涙が頬を伝った。

 7月25日、スイス・サンモリッツでの仕上げの高地合宿中にアクシデントは起こった。左太ももの臀部に近い部位の奥に痛みを感じた。今までに経験のない故障だった。自ら「もう帰りたい」と申し出て、予定を3日早め帰国。「故障の原因は自分にあります。余裕を持ってやっていいところで、オリンピックのことを考え(練習を)やり過ぎてしまいました」とオーバーワークを原因に挙げた。そして、指導するシスメックスの藤田信之監督、廣瀬永和コーチをかばい「悪いのは私です」と、また泣いた。指導歴40年の藤田、生活のほぼすべてを野口に賭してきた廣瀬。北京で乾坤一擲の勝負を目指してきた3人の絆は固い。野口は、ひたすら詫びたい心境だった。

 故障が報じられてから京都の寮や藤田の自宅は報道陣に包囲された。藤田は「万歩計を見たら、その日に歩いたのがたった263歩。事務所の1階と2階を往復してトイレに行っただけや」と苦笑いする。そして、8月12日に欠場を公表すると、藤田の元には電子メールや手紙が殺到。期待を裏切ったことへの非難が大半だった。「非国民、国賊という扱いだった」(藤田)。五輪後、藤田は、シスメックスの社長に進退伺いを出して慰留されている。9月26日に山形であった大会に姿を見せたとき、恰幅のよかった腹回りは細ってベルトはゆるゆるだった。

 欠場発表の直前、野口と廣瀬は寮を脱出し、京都市内のホテルに1泊して北海道の別海に向かった。身を隠すためだった。廣瀬はTシャツ、短パン、サンダル姿で飛行機へ。夜逃げのような一夜を「考えてみれば、僕は自宅に帰って支度してから北海道に行くこともできました。気が動転していたのかな」と振り返った。

 北海道の自然の中で野口は走ったという。「私にとって走ることは毎朝の歯磨きと同じ」という傷心のランナーにとって、他にすることはなかった。北京のレースはホテルのテレビで廣瀬とともに見た。互いに言葉は少ない。ラドクリフ、カスターら有力選手が振るわなかった結果に「私も万全で出ていたとしても(結果は)よくなかったのかもしれない、と考えて見ていました」。スタートラインに立てなかった悲運を必死で受け入れようとしていた。

 野口は34歳で迎えるロンドン五輪挑戦を表明。トークショー翌日、佐渡で藤田主宰の陸上アカデミーに参加し小中学生113人と交流した。その際の会見で「マラソンは走り込めば走り込むほどおもしろい。年齢的なものは関係ありません」と改めて意欲を語った。そう言わなければ、自分を保てなかったのかもしれない。現在、痛みが再発し本格的な練習を控えている。来夏の世界選手権も視野の外に置き、来秋以降の海外マラソンを当面の目標にする。藤田は「今、野口は4年後を語れる立場ではない。俺も生きているか分からないよ」と、やや突き放した言い方をした。今後の道がいかに険しいかを分かっているからだ。失意を乗り越える闘いが、始まる。

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