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“復活”した朝青龍に
引導を渡すのは誰か。 

text by

小林照幸

小林照幸Teruyuki Kobayashi

PROFILE

photograph byJMPA

posted2009/02/12 04:15

 「横綱として一回優勝したかった」

 かつてこんな言葉が朝青龍の口から出ていたことがあった。2003年5月場所、横綱昇進2場所目の朝青龍が、2場所ぶり3回目の優勝を決めた後に語ったものだった。そして、先の1月場所。朝青龍は5場所ぶり23回目、歴代単独4位の優勝記録を達成した。横綱として優勝すること実に21回である。

 3場所連続の休場明け、左ひじのケガの回復の遅れ、さらには稽古不足などの周辺材料から、場所前は横審、評論家を含めてメディアは「進退がかかる。前半戦に連敗なら即引退」と半ば決めつけていた。

 一昨年の“サッカー問題”をはじめ、土俵内外の話題が「朝青龍対協会」「朝青龍対横審」という番外取組の様相を呈すると、朝青龍は常に優勝という結果で自らに軍配を上げてきた。今回も終わってみれば、抜群の集中力で最高の結果を満天下に示してみせた。朝青龍にとって、白星を積み重ねるたび、世間の評価が手のひら返しで好意的になっていったのは痛快だったろう。

 完全復活を印象づけた朝青龍。だが、私たちが見たものは復活優勝ではなく、最後の優勝だったかもしれない。相撲史では、20回以上の優勝を誇る横綱が復活優勝、あるいは復活を世間に印象づけたときは引退が近いものだからだ。

 大鵬の最後の優勝は'71年1月場所のことであったが、5場所ぶりも、翌々場所に引退。'84年5月場所、14場所ぶりの優勝を全勝で果たした北の湖は「完全復活」「円熟V」と賞賛されたが、翌年1月場所に引退した。千代の富士は'90年11月場所、場所前に稽古がほとんどできない中での5場所ぶりの優勝で限界説を一蹴したかのように見えたが、翌年5月場所に引退する。貴乃花最後の優勝は'01年5月場所。負傷した右ひざを押しての強行出場の代償は大きく、以後7場所連続休場となった。休場明けの'02年9月場所では優勝戦線に残り復活を感じさせるも、翌々場所に引退した。

 「復活優勝」「復活」という形容は、体力の低下、ケガとの戦い、ライバル横綱の登場、さらには新たな力の台頭といった要因によって、優勝戦線に残れず、賜杯に届かない期間が長かったことを意味する。引き際が問われる横綱にとって、自らを脅かす力は必要不可欠な存在でもある。これまで、大鵬には貴ノ花が、北の湖には保志時代の北勝海、大乃国、旭富士、北尾時代の双羽黒らが、千代の富士には貴花田時代の貴乃花が、貴乃花には朝青龍が、といったように、彼らの引退前には、のちに角界を支える新たな力との、世代交代を印象づける取組があった。

 しかし朝青龍には、そうした取組がまだない。今後も朝青龍が優勝する力があるのかはともかく、世代交代のドラマが訪れるまで朝青龍は引退しない、という見方も出てくる。ここに現在の角界の課題がある。稀勢の里、琴奨菊、豪栄道、豊真将ら日本人ホープの大化けが期待されるが、現時点ではまだまだ朝青龍の壁は厚い。

 強いて挙げるとすれば、私は栃煌山に期待を抱く。過去、三賞を2回受賞した栃煌山だが、入幕から丸2年、横綱と対戦する番付位置までついに辿り着き、来る3月場所で朝青龍との初顔合わせが実現する。両者は明徳義塾高校の先輩後輩の間柄。後輩が先輩を倒す“恩返し”のドラマの可能性──私は23回目の賜杯を手にした朝青龍の姿から、そんな展望すら思い描いた。

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