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巨人退団を決断した桑田真澄の心の内。 

text by

石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

PROFILE

posted2006/10/12 00:00

 9月23日の午後。ジャイアンツの公式ホームページに、退団を示唆する桑田真澄の衝撃的なメッセージが掲載される2時間ほど前のことだった。自宅の近くに車を停めた桑田は、ハンドルを握ったまま、寂しそうな笑顔を浮かべてこう言った。

 「来年、ジャイアンツで投げるということだけは、なくなったね……」

 その前夜、9月22日。桑田は清武英利球団代表に呼ばれて、両国の和食店で食事をともにしている。その席で、来シーズンもジャイアンツの選手として投げてもらうことは考えていない、という主旨のことを清武代表に伝えられた。つまりこの日、清武代表は桑田に対して、事実上の戦力外通告を行ったのである。

 しかし、桑田は現役にこだわっていた。まだ投げたい、まだ投げられる──だから桑田は清武代表にその意志を伝えた。それでも清武代表にしてみれば、将来的にジャイアンツの組織に留めておきたいと考えている人材を、おいそれと他球団に出すわけにはいかない。そこにボタンの掛け違いが生じる原因があった。

 桑田は“選手として”戦力外通告を受けたと理解した。一方の清武代表は“選手としてではなく別の形での”残留要請をし、結論が出なかったと解釈していた。だからなのか、清武代表はこの夜のことを原辰徳監督に報告していない。引き続き、何らかの形でチームに関わって欲しいと桑田を説得するつもりだったのだろう。ところが桑田は、その2日後の9月24日、ジャイアンツ球場で行われる二軍のゲーム、シーレックス戦が、ジャイアンツでの最後の登板になるのだということを覚悟しなければならなくなってしまった。

 一夜明けて、桑田は原監督からの連絡を待った。清武代表から原監督へ、桑田に戦力外通告をしたと報告があれば、最後の舞台を一軍で用意してくれるかもしれないと考えたからだった。しかし、夕方まで待っても連絡はなかった。それもそのはず、原監督はその時点で前夜の報告を受けていなかったのである。ゲームはもう翌日の昼だ。それがもしジャイアンツでの最後のマウンドになるのなら、そのことをファンに報せる義務と責任があると桑田は考えた。だからホームページに掲載するためのファンへのメッセージを一気に書き上げ、球団宛に送ったのだ。桑田のホームページは球団が管理しており、最終的に桑田のメッセージをアップしたのは球団関係者なのである。

 要は原監督も清武代表も、そして桑田も、あと一言が言えなかったが故にボタンの掛け違いが起こってしまった。5月以降、一度も起用法についての考え方を桑田に伝えなかった原監督は、指揮官と選手の関係を杓子定規に考えすぎていたように思うし、桑田のプライドも喉の奥まで出かかった言葉を呑み込ませてしまっていた。清武代表にしても桑田の現役へのこだわりを見抜けず、最後の舞台に対する配慮を欠いていた。

 それでも、9月24日のジャイアンツ球場は誰もが心を揺さぶられる舞台となった。その翌日、桑田は原監督に電話をかけた。「監督、お騒がせしてすみませんでした」「こっちこそ連絡しなくて悪かったな、マスミ」──こんなふうにお互いが素直になれたのは、かけがえのない一瞬に涙したファンの姿をそれぞれが重く受け止めたからだった。桑田が大切にしてきた18番。その誇りを最後に守ってくれたのは、桑田の呼びかけに応えてジャイアンツ球場に駆けつけたファンだったのである。

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