巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
星野仙一が猛批判「あなたたちは時代が止まってる」年俸10億円説も…“巨人・星野監督”、なぜ誕生しなかった? 落合博満も星野も巨人OBから嫌われた理由
posted2024/05/12 11:01
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第19回(前編・後編)は「落合博満はなぜ巨人OBから嫌われたのか?」。“巨人・星野監督”が誕生しなかった理由から見える共通点。【連載第19回の前編/後編も公開中】
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「お前ら42歳まで野球をやっていたのか」
「とにかくね、今年はコンチクショー、コンチクショーと思いながら野球をやっていたからさ。何を言っているんだ、このジジイどもって。その気持ちが強かったから、何とかもったんだけどね」(不敗人生 43歳からの挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)
1996年、42歳の落合博満を突き動かしていたのは、球界OBたちからのバッシングに対する「反発心」だった。「お前ら、42歳、43歳まで野球をやっていたのか。その時、3割打っていたのか」。外野から好き勝手言っているアイツらを黙らせるには、バットで結果を残し続けるしかない。落合は歳を重ねて丸くなるどころか、怒りをモチベーションに変えて、自らを鼓舞した。長嶋監督の意向でプロ4年目の松井秀喜に4番を譲って開幕するも、5月になると実力でその座を奪い返し、6月には打点王争いのトップに立った。自身の限界説を嘲笑うかのように、5年ぶりの打撃タイトル獲得すら現実味を帯びていた。
なぜ落合は巨人OBに嫌われたのか?
「一般のファンが好きなことをいうのは仕方がない。でも、同じ職業だった人間に『あいつはもうトシだから』といわれるのだけは嫌だね。そういうことをいってる奴らが、現役の時にどれだけのことをやった? 我々と同じだけのことをしたか? 長嶋さん、王さんにいわれるならしようがないよ。だけど、そのへんのペイペイの訳のわからない奴にああだ、こうだいわれたくないね」(週刊ポスト1996年4月19日号)
この『週刊ポスト』収録の金田正一との座談会で、通算3085安打の張本勲は「ハッキリいうと、落合を外すべきなんです。大久保(博元)が引退したあとの右の代打の切り札がいない、攻守に機動力を使いたい、若手の台頭を妨げる……と理由は3つ」と“落合不要論”をぶち上げた。ちなみに金田も張本も、現役時代の終盤に他球団から巨人へ移籍してきた大物の“外様組”だ。にもかかわらず、同じような立場の背番号6を手厳しく批判し続けた。
なぜ、落合はここまでOBたちに嫌われたのだろうか?